2014年 07月 10日
職業と信用
牧師は教会の運営を監督する仕事である。教会が、牧師を特別な仕事と見做し、高い報酬を支払い、最上の敬意を払うようになると、次の監督に対して、内実が伴わなくても同じ待遇をする。それを見たろくでもない人間は、就職先としてこれ程よい職業はないと思う。いまどきの職業で、金銭欲と名誉欲を満足させてくれるところはないからだ。それで就職先として教会の牧師になる。動機の悪い人間が正しい教えを語り続けることはできない。自分を裁く説教になるからだ。説教は金銭欲と名誉心をさらに満足させてくれる内容となり、教会の霊性は地に落ちる。いつの間にか、清貧に甘んじる牧師はいなくなり、繁栄の神学に毒された牧師が講壇を占めるようになる。このような牧師から毎週毎週説教を聞かされていたら、真偽を見分ける信徒が育つはずはない。こうして一般からは過分の信用を受けた教会は、自ら招いた不始末によって信用を失ってしまう。職業は、その職業に必要とされている内実が伴ってこそ信用を維持できる。
by maranatha
| 2014-07-10 15:10