2014年 09月 20日
「携挙」の出所?
携挙の問題を何回か取り上げてきた。どうやら、これではないかと言う記事を見つけた。数人の人が指摘してくれた箇所が共通していた。ある人のブログに富田信吾師の記事が掲載されてある。この記事を読んで、携挙と結びつける人は出るだろう。携挙の年月を語っていなくても、聞き手に取って、携挙が起きるかもしれない年月を書いている。非常な危機感を与える内容で、仕事や学業を続けるか判断を迫られた人もいるだろう。携挙は語り手と聞き手の理解が近いと問題は起きないが、スピリチュアルなバイアスが掛かると齟齬が起きる。携挙騒動は2000年前に起きた。なぜ今頃か。2000年後の自然災害やテロや戦争が影響を与えていると思う。近年再臨論が話題になってきている。
読者に手間をかけないために、そして、資料とするために以下に記事を掲載する。私は、ブログで、緑や赤や青の文字を使うのを避けてきた。よって、この記事は時限掲載で、個人的な資料にするかもしれない。最後に、私は以下の説に賛同していないことを表明しておく。
村上密の関連記事:「天のしるし」 http://maranatha.exblog.jp/22400226/ 「携挙」http://maranatha.exblog.jp/22400226/ 「携挙の日」http://maranatha.exblog.jp/12953350/
皆既日食と月食がイスラエルの祭りと重なる事実はこの後の慎悟先生の記事を 読んでね
ここからは 慎悟先生のシェア
2014年の4月15日の過越しの祭りから2015年の9月28
日の仮庵の祭りにかけて、4回の月食と2回の日食があり、いずれ
もイスラエルの祭りと重なってこの事が起こります。
連続してユダヤの祭りと月食が合わさるのは大変めずらしい出来
事であり、前回起こったのが1967年~1968年にかけてエル
サレムが回復した時、そしてその前が1948年~1949年、イ
スラエルが建国された時、そして特筆すべきは西暦32年~33年
、主イエスが十字架に架かられた時です。つまり、聖書の歴史とイ
スラエルの歴史において非常に重要な時にこの出来事が起こってい
ます。その天のしるしが今年から来年にかけて起こり、イスラエル
の祭りと月食が繰り返し一致して起こるのは、これから先には50
0年後までありません。
さらに、今年は聖書のカレンダーでは7年に一度の安息年であり
、今年の9月24日から、『土地の安息』に入ります。その7年に
一度の安息年が7回続いた49年目の次の年が「ヨベルの年」解放と
主の安息を告げる時となるのです。来年2015年がこのヨベルの
年にあたり2015年9月13日からは50年に一度の『ヨベルの
年』となり、この日は部分日食とも重なります。
それから10日後の9月23日は、大祭司が年に一度至聖所に入
る日であり、角笛(ラッパ)を吹いて『ヨベルの年』の宣言をする
日になります。更にその五日後、9月23日は『仮庵の祭り』の初
日になり、皆既月食と重なります。
しかもBC1416年、イスラエルの子らがカナンの地に定着し
た時を起算すると、来年は3500年の時を経て、70回目の『ヨ
ベルの年』になります。前回のヨベルの年は、1967年イスラエ
ルが六日間戦争により、エルサレムを奪還しました。この年も過越
の祭りと仮庵の祭りに日食、月食が、重なっています。
つまり、この2014年と2015年は聖書の歴史において非常に
重要な「時」となります。天文学的な驚くべき確率で全ての事がこ
の時に一致して起こるのです。多くの人々が、終末の「時」に関し
て言うと、「危険だ。おかしい。異端だ。」と警戒し、教会はその
事を語るのを恐れます。なぜなら今まで、様々な偽りの指導者によ
って「この日が再臨の時だ」という惑わしが多く蔓延したからです
。
また教会だけでは無く、一般においてもノストラダムの予言や2
000年問題、2012年のマヤ予言などが話題となり、実際にそ
の時になっても「何も起こらなかったじゃないか。」と人々の心を
終末に対して鈍らせて来ました。
しかし、今までの予言と言われるものは、全て何の聖書的根拠も
無いものです。しかし、この2014~2015年は、御言葉の預
言と、聖書のカレンダーに基づく「時」です。創世記を読むと太陽
と月が創られた目的が「しるしのため、季節のため、日のため、年
のため」と記されていて、その第一の目的は「しるしのため」です
。
さらにヨエル書2章、使徒の働き2章には「主の大いなる恐るべ
き日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。」と記され
ています。月食は月が血のように赤くなり、日食は太陽が暗くなり
ます。明らかな天のしるしです。
しかし、その前に!幼子から老人に至るまで、今までの歴史の中
で最も激しい聖霊の注ぎがもたらされ、「主の名を呼ぶ者はみな救
われる。」のです。これから非常に短期間の間に、人知を遥かに超
えた勢いで、爆発的な魂の大収穫が全世界でなされ、そして主イエ
スが花嫁を迎えに来られます。
私はこの事を思います。「終末の事を知っている。」のが花嫁で
はなく、絶えず聖霊に満たされ、御言葉に従って忠実に歩み、聖さ
を喜びとし、日々祈り、主イエスとの親密さの中を生きる者。そし
て、麗しさと同時に手には主の剣を握り、勇敢に主の戦いを闘い抜
き、主にある愛とあわれみを身に帯びて魂の大収穫をしていく。そ
れがキリストの花嫁としての歩みです。
ダビデの幕屋はその「麗しい愛と戦い、種蒔きと収穫」の両方を
同時に成し遂げる為の重要な拠点であり、現在日本中、世界中で急
速な勢いで絶え間ない祈りと礼拝を捧げる祈りの家、ダビデの幕屋
が回復しているのは明確な終わりの時代の「しるし」と言えます。
私達は、驚くべき時代、大いなる時に生かされています。今は、
目を覚まし祈り、主に従い、主との時間を人生の第一優先とし、花
婿なる主イエスと強く愛で結びついて生きなければいけない時です
。これから始まろうとしている偉大な主の計画に胸を高鳴らせ。キ
リストの花嫁よ。目を覚ませ!
2014年の4月15日の過越しの祭りから2015年の9月28
日の仮庵の祭りにかけて、4回の月食と2回の日食があり、いずれ
もイスラエルの祭りと重なってこの事が起こります。
連続してユダヤの祭りと月食が合わさるのは大変めずらしい出来
事であり、前回起こったのが1967年~1968年にかけてエル
サレムが回復した時、そしてその前が1948年~1949年、イ
スラエルが建国された時、そして特筆すべきは西暦32年~33年
、主イエスが十字架に架かられた時です。つまり、聖書の歴史とイ
スラエルの歴史において非常に重要な時にこの出来事が起こってい
ます。その天のしるしが今年から来年にかけて起こり、イスラエル
の祭りと月食が繰り返し一致して起こるのは、これから先には50
0年後までありません。
さらに、今年は聖書のカレンダーでは7年に一度の安息年であり
、今年の9月24日から、『土地の安息』に入ります。その7年に
一度の安息年が7回続いた49年目の次の年が「ヨベルの年」
主の安息を告げる時となるのです。来年2015年がこのヨベルの
年にあたり2015年9月13日からは50年に一度の『ヨベルの
年』となり、この日は部分日食とも重なります。
それから10日後の9月23日は、大祭司が年に一度至聖所に入
る日であり、角笛(ラッパ)を吹いて『ヨベルの年』の宣言をする
日になります。更にその五日後、9月23日は『仮庵の祭り』の初
日になり、皆既月食と重なります。
しかもBC1416年、イスラエルの子らがカナンの地に定着し
た時を起算すると、来年は3500年の時を経て、70回目の『ヨ
ベルの年』になります。前回のヨベルの年は、1967年イスラエ
ルが六日間戦争により、エルサレムを奪還しました。この年も過越
の祭りと仮庵の祭りに日食、月食が、重なっています。
つまり、この2014年と2015年は聖書の歴史において非常に
重要な「時」となります。天文学的な驚くべき確率で全ての事がこ
の時に一致して起こるのです。多くの人々が、終末の「時」に関し
て言うと、「危険だ。おかしい。異端だ。」と警戒し、教会はその
事を語るのを恐れます。なぜなら今まで、様々な偽りの指導者によ
って「この日が再臨の時だ」という惑わしが多く蔓延したからです
。
また教会だけでは無く、一般においてもノストラダムの予言や2
000年問題、2012年のマヤ予言などが話題となり、実際にそ
の時になっても「何も起こらなかったじゃないか。」と人々の心を
終末に対して鈍らせて来ました。
しかし、今までの予言と言われるものは、全て何の聖書的根拠も
無いものです。しかし、この2014~2015年は、御言葉の預
言と、聖書のカレンダーに基づく「時」です。創世記を読むと太陽
と月が創られた目的が「しるしのため、季節のため、日のため、年
のため」と記されていて、その第一の目的は「しるしのため」です
。
さらにヨエル書2章、使徒の働き2章には「主の大いなる恐るべ
き日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。」と記され
ています。月食は月が血のように赤くなり、日食は太陽が暗くなり
ます。明らかな天のしるしです。
しかし、その前に!幼子から老人に至るまで、今までの歴史の中
で最も激しい聖霊の注ぎがもたらされ、「主の名を呼ぶ者はみな救
われる。」のです。これから非常に短期間の間に、人知を遥かに超
えた勢いで、爆発的な魂の大収穫が全世界でなされ、そして主イエ
スが花嫁を迎えに来られます。
私はこの事を思います。「終末の事を知っている。」のが花嫁で
はなく、絶えず聖霊に満たされ、御言葉に従って忠実に歩み、聖さ
を喜びとし、日々祈り、主イエスとの親密さの中を生きる者。そし
て、麗しさと同時に手には主の剣を握り、勇敢に主の戦いを闘い抜
き、主にある愛とあわれみを身に帯びて魂の大収穫をしていく。そ
れがキリストの花嫁としての歩みです。
ダビデの幕屋はその「麗しい愛と戦い、種蒔きと収穫」の両方を
同時に成し遂げる為の重要な拠点であり、現在日本中、世界中で急
速な勢いで絶え間ない祈りと礼拝を捧げる祈りの家、ダビデの幕屋
が回復しているのは明確な終わりの時代の「しるし」と言えます。
私達は、驚くべき時代、大いなる時に生かされています。今は、
目を覚まし祈り、主に従い、主との時間を人生の第一優先とし、花
婿なる主イエスと強く愛で結びついて生きなければいけない時です
。これから始まろうとしている偉大な主の計画に胸を高鳴らせ。キ
リストの花嫁よ。目を覚ませ!
by maranatha
| 2014-09-20 06:04