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村上 密 Blog

ダビデの幕屋

 レストレーション運動(またの名称を後の雨運動)は、ダビデの幕屋の礼拝の回復を主張する。この運動をする人は、歌ったり踊ったりすることがダビデの幕屋の回復と取り違えている。ダビデの幕屋とは、エルサレム会議で、長老であるヤコブが語っている。「兄弟たち、私の言うことを聞いてください。神が初めに、どのように異邦人を顧みて、その中から御名をもって呼ばれる民をお召しになったかは、シメオンが説明したとおりです。預言者たちの言葉もこれと一致しており、それにはこう書いてあります。『この後、わたしは帰って来て、倒れたダビデの幕屋を建て直す。すなわち、廃墟と化した幕屋を建て直し、それを元どおりにする。それは、残った人々、すなわち、わたしの名で呼ばれる異邦人がみな、主を求めるようになるためである。大昔からこれらのことを知らせておられる主がこう言われる。』」シメオンは何と説明しているか。「兄弟たち。ご存じのとおり、神は初めのころ、あなたがたの間で事をお決めになり、異邦人が私の口から福音のことばを聞いて信じるようにされたのです。そして、人の心の中をしっておられる神は、私たちに与えられたと同じように異邦人にも聖霊を与えて彼らのためにあかしをし、私たちと彼らを何の差別もつけず、彼らの心をきよめてくださったのです。」要約するならば、ダビデの幕屋とは、異邦人がイエスをキリストと信じて救われ、聖霊を与えられたことである。レストレーション運動の人々は、ダビデが礼拝に楽器や歌、また彼自身が喜んで踊った体験等を参考にしながら、ダビデが礼拝革命をもたらしたように、今日もこのような礼拝を教会の礼拝に回復しなければならないとしている。このようなことを実践している教会で、もっとも滑稽なのは、礼拝堂の中を歌って踊ってして中央にある籠に献金を捧げる行為である。ダビデの幕屋を建て直すとは、ダビデの礼拝を回復することではない。幕屋における礼拝には絶えず動物の犠牲の捧げ物が必要とされた。新約時代に動物の犠牲は必要とされない。それで、感謝の生け贄(賛美と喜びの踊りと献金)で神を礼拝するわけである。それでは回復と言わない。回復とは元の状態の戻ることである。間違った教えに共通することは、聖書を教えているのではなく、自分が教えたいことを聖書を利用して教えていることである。

by maranatha | 2014-10-13 16:18
宗教問題

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