2014年 11月 02日
使徒の受ける杯 苦難か成功か
「なるほどあなたがたは、わたしの杯を飲み、わたしの受けるべきバプテスマを受けはします。」(マルコ10:39)イエスはご自分の受けるべき苦難を「わたしの杯」「わたしの受けるべきバプテスマ」と語られた。そして、弟子たちが苦難を受けることを「なるほどあなたがたは…受けます」と語っておられる。このとき、だれが偉くなるかと争っていた12弟子(使徒たち)は、殉教者となる。メシア王国の右と左の座を求めたヤコブとヨハネは、その後どうなったか。ヤコブは12弟子(使徒)の中で最初の殉教者となり、ヨハネは最後の殉教者となった。ヨハネには自然死説と殉教死説があるが、イエスの言葉から殉教死説が妥当であろう。
現代の「使徒」と自称している者たちは、だれひとり殉教死していない。イエスが弟子たちを戒められた<支配と権力をふるう>ことに関心を持っている。彼らは預言されていない「使徒と預言者の回復」を教会内に持ち込み、自分たちが「使徒」「預言者」であると主張し、教会を自分たちの覆いの下に集めようとしている。彼らは、イエスの歩みである、仕えられるより、仕えるようにができない。イエスは、十字架を目指して、エルサレムに向かって、先に立って歩かれた。自称使徒たちは、自分の成功のために、率先してイエスの前を歩み続ける。羊飼いのようにではなく、成功した実業家のように。(2014年10月28日掲載記事)
by maranatha
| 2014-11-02 20:54