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村上 密 Blog

祝福

 祝福を強調する教会は、「イスラエルを祝福する者は祝福される」をよく引用する。この「イスラエル」をどのように定義しているのだろうか。神はシナイ山でイスラエルと契約を結ばれた。イスラエルとは、唯一の神と契約を結んだ信仰共同体である。そのイスラエルが歴史の中で契約を破り、神によってしばしば裁かれる。神に従うイスラエルを祝福するものが祝福されるのか。神に従わないイスラエルを祝福するものが祝福されるのか。神は神に従うイスラエルを祝福される。律法では、すべてのことを堅く守って実行しなければ、だれでもみなのろわれる。神がのろわれる人を祝福する人は神に背くことになる。このように律法の枠の中で「イスラエルを祝福する者は祝福される」を考察すると無条件ではないことが分かる。だから、現代の教会がスローガンのように、或いは無条件に「イスラエルを祝福する者は祝福される」を語るのは間違っている。祝福はイスラエルを通してではない。キリストを通してである。パウロは「アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのである。」(ガラテヤ3:14)と言っている。異邦人がこの約束の御霊を受けたから、ペテロやヤコブも、エルサレム会議に参加した人々も、パウロの主張を受け入れたのである。もちろん、異邦人を受け入れた彼らは、異邦人に先立って父の約束、約束の御霊を受けた。どうも現代の教会は祝福を富や癒しの方へ目を向けさせ過ぎる。それらのものは救いの中に含まれているものである。救いは条件なしで、信仰によって与えられたように、祝福も何かの条件(献金、奉仕)で与えられるものではない。アブラハムが祝福を受けたのは、何かをしたからか、いや信じたからである。祝福より救いが重要である。重要な信仰による救いから目をそらさせられ、条件による祝福に目を向けさせられている人々は目を覚まさなければならない。聖書には「あなたがたは、キリストのために、キリストを信じる信仰だけでなく、キリストのための苦しみをも賜わったのです」(ピリピ1:29)と書いてある。富や癒しを強調する教会は、苦しむキリスト者を正しく見ることができない。彼らの祝福の概念(色眼鏡)で苦しむ人を見ると、不信仰に見える。信仰の故の苦しみもある。苦しむキリスト者、それは神の正義と憐れみが現れることを待ち望む人々である。

by maranatha | 2014-12-02 15:45
宗教問題