2014年 12月 02日
サタン
『旧約新約聖書語句大辞典』(教文館)で「サタン」を調べると、「ヨブ1:6<サタン>7、8、12、12、2:1、2、2、3、4、6、7」とある。1:7に2回出てくるので「7、7」とすべきである。ヨブ記には14回サタンが出てくる。この他には、1歴代に1回(21:1)、ゼカリア3回(3:1、2、2)に出てくる。旧約聖書には「サタン」は18回、ヨブ記において「サタン」は14回である。回数は突出している。実は同じようにヨブ記で突出しているのが「全能者」である。旧約聖書において「全能者」は48回、ヨブ記において「全能者」は31回で際立っている。ヨブ記におけるサタンは何でも自由にできるわけではない。神の許可がなければ、彼はヨブに何もできない。ヨブ記では神の主権が明白である。ヨブ記においては神が全能であると同時に全知であることも知ることができる。天上における神とサタンの対話を地上にいる人間は誰ひとり知らない。ヨブを慰めに来た友人たちは、因果応報論でヨブへの災いはヨブの罪が原因であると責めたてる。ヨブには身に覚えがない。友人たちも「全能者」を使うが、神は「あなたがたがわたしについて真実を語らず、わたしのしもべヨブのようではなかった」(42:7、8)と言われる。友人たちは「全能者」を語るが、神は「わたしについて真実を語らず」と語られる。神を語るが神について真実を語らないのはヨブの友人に限ったことではない。「霊の戦い」を実践する人々は「神」と「サタン」についても誰よりも知っているように語る。しかし、神の主権をしっかり教えるなら、「霊に戦い」を実践する教会において、サタンを恐れる人は少なくなり、情緒不安定な人も減少するだろう。「霊に戦い」を実践している人々は、神とサタンの戦いという二元論に陥っている。そして、サタンは一人であるにもかかわらず、世界中で「サタンよ出ていけ」と叫んでいる。神の前にサタンが出ている時、それ以外の所にはいない。どこかにいたら、それ以外の所にはいないのである。それにもかかわらず、あらゆるところでサタンの追い出しをしている。惑わされていることになぜ気付かないのか。それは経験から語り、聖書から学ばないからである。経験が何でも正しいわけではない。経験は主観に陥る。これが罠である。
by maranatha
| 2014-12-02 17:32
| 霊の戦い