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村上 密 Blog

なぜ、教会成長のための弟子訓練は問題か

 牧師は教会を成長させたい願望を持っている。ある牧師たちは、その願望達成のために、教会成長に弟子訓練テキストを取り入れている。テキストは日本の牧師が作成したものではない。弟子訓練が教会成長に貢献している、と言っても、それはその教会の取り組みにによるものであって、普遍的なものではない。もし、弟子訓練でどの教会も成長するなら、一様に取り組んだ教会は成長を遂げているはずである。むしろ、教会成長のために弟子訓練を取り入れ、名を馳せた教会で、様々な問題が起きている。このことを考慮すると、教会成長のための弟子訓練が健全な教会形成に至らなかった、と言うことである。

 なぜ、教会成長のために弟子訓練は問題か。牧師は弟子訓練を「正しい」、そして聖書的だと思い込んでいる。確かに、福音書にはキリストの弟子が登場する。イエスは「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい」(マタイ28:)と命じられた。ペテロもヨハネもキリストの弟子である。しかし、ペテロやヨハネの弟子はいない。パウロはテモテに対して弟子とは言っていない。同労者である。教会成長のための弟子訓練の問題は、教会の中に上下関係を持ち込んでいることである。同労者意識があったら、権威主義的教会はできないはずである。ビュン・ジェーチャンやキム・ギョドンは弟子訓練を取り入れ、やがて、それを欲望を満たすために悪用して堕落した。

 弟子訓練が、キリストに仕える人を養成するのではなく、牧師に仕え、個教会に仕える人の養成に重点が置かれると、視野の狭い従属型の「弟子」が出来上がる。弟子訓練をする牧師は、自分を超えるほどの「弟子」を養成できない。牧師を超える器を養成するためには、各分野に秀でた器たちから学ぶ必要がある。弟子訓練が牧師に従う取り組みであるなら、動機が不純である。問題牧師でさえ、キリストの弟子を養成するため、と言う。大義を額面どうりに受け留める人が、弟子訓練に誘われやすい。弟子訓練の実態がどのようになっているかを考える人は、距離を置いて考えることのできる人である。この10年、どれだけ弟子訓練を強調した牧師が問題を起こしてきたことだろうこのことを人物が問題を起こしたに過ぎないと片付ける牧師はやがて問題を起こす。方法論の問題であると反省し、同労者意識をもって宣教に取り組む教会は逸脱から守られる。

by maranatha | 2015-01-02 17:00 | 弟子訓練
宗教問題