2015年 06月 10日
霊の戦い 神学なき実践
神社仏閣油事件についての「村上密ブログ」を読んだ読者からメールがあった。自分の属する教会でどのようなことをしていたか、反省を込めた感想のメールを送ってくれた。このようなことをしている教会は他にもある。これは霊の戦いを実践するように教えるグループが、何をやっているか知ることのできる情報である。
Cさん
神社仏閣油事件を聞いた時、私達の教会でも同じような事をやって来ので、逸脱した一部の人のことと思えない心情でした。いろんな神社仏閣へ祈りの歩行に出掛けて行きました。ブドウジュースを注いで祈ったり、御言葉の杭という御言葉を書いた紙を埋めたりもしました。また、古戦場へ行って祈ることもしました。犯罪に繋がるような事を霊の戦いの為とどこか正当化していたり逸脱した考えをおかしいとは思わなかったのは何故かと考えましたが、「村上密ブログ」に書いておられましたが、教会の牧師が事ある毎に「神様がそう導いておられると受け取った」と言われる事の影響が大きかったと思います。霊の戦いだけでなく、何かの方向性や祈る課題を打ち出すときに、「神様からこう受け取ったので」と言われる事が多く、神様が語られたのならそこは間違いないだろうし、従わなければと盲信して行きました。そして私も神様の語りかけを聞きたいと、求めるようになって行きました。祈り会は勿論のこと、スモールグループで祈る時も、事ある毎に「何か神様から受け取った事はありませんか?」と聞かれてきたので、受け取れないとだめなのか、もっと受け取れるようにならなければ、と熱心になって行きました。神様から直接語ってもらいたい、神様の声を聞きたいという心情は分かりますし私もありますが、それはいま悪影響が出ている預言を求める姿勢と変わらないのではないでしょうか。
以前は牧師と一緒にたくさんとりなしに行きました。その時に、神社仏閣など偶像礼拝をするところにはサタンを滅ぼすための御言葉の剣である聖書の言葉を紙に書いて神社の境内に埋めたり、仏閣の柱と柱の間に入れたり、たくさんの人の血が流されたところは呪われているからということで、そこで聖餐式をしてぶどうジュースを注ぎかけてその土地を清めたりなどしました。今思うと、油まきと類似してることを私もしていたと恥ずかしくなります。でも、礼拝メッセージでまったく油まき事件に触れようとしない牧師はそのことに気づいていないようです。
Bさん
今回の油まき事件もそうですが、それ以前に、私の属する教会では、あるムーブメントの波にのりまくり、その中で「霊的戦い」の名のもと、よく牧師とともに夜、神社や仏閣などに祈りに行きました。その中で排他的な考えや先人が培ってきたことなどを悪と決めつける思考になってしまったことは今となっては苦しいです。きちんと見分けることができなかったことにより、時間や財産を浪費し、精神も消耗しました。今までの行動をくい改めるばかりです。先生のブログをことあるたびに拝見し、 根底なき教えに振り回されることの怖さを感じています。これからは二元論的思考と行動を克服し、 礼節ある生き方をしたいです。
by maranatha
| 2015-06-10 21:34
| 霊の戦い