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村上 密 Blog

油まき事件 その思想的背景

 金山昌秀が神社仏閣に油をまいていると語っている映像を見た時、私は警察に通報することにした。犯罪だからである。この映像は随分長い間ネット上にあった。金山が語っている時、それを聞いていたのはクリスチャンである。油まきを聞いて、とがめる人がいなかった。むしろ賛同している。このようなクリスチャンがなぜ育ったのか。
 一つは、神から言われた、聖霊から示されたと言って行動に移る人人が出て来た。本来は、聖書の教えに適っているか、吟味してから行動するのだが、集団の中では、立場がある人が語ると、多くの人は否定できない。このような人は、神から示されたと言って、自分の行動を正当化する思考の癖を持っている。非難する人に対して、神に逆らう人、迫害する人、悪魔に従う人と単純にレッテルを貼る。内部の人に対しては、不信仰となじる。集団の中でなじられないように人は矯正される。そうして、同じ考え同じ行動をする人が育てられる。
 二つは、見えるものではなく、見えない霊との戦いを強調するグループの台頭である。霊との戦いは間違いではない。聖書に書いてあるからだ。しかし、霊との戦いを強調するグループは、これを強調するあまり、聖書を深く学び、生活に根差した敬虔な生き方から離れて行った。自分たちと意見の異なる者はクリスチャンでさえ、悪魔や悪霊に憑いているとして、攻撃的な祈りをするようになって行った。戦闘的な思考が植え付けられ、行動が優先され、熱心が集団の中で要求される。集団は過激に走る。超えてはならない線を超える時、常識にとらわれない、神の声に従う神の兵士が誕生する。霊の戦いには、兵士が必要である。二元論に基づいた兵士が育てられる時、敵地と見做される器物は破壊の対象となるのは必然である。
 三つ、償いを教えないで、赦しなさいだけを教えるキリスト教会が増えたことで、法意識が欠如してきた。このような教会の中では、被害者は救われない。加害者がいつも擁護されるからである。人に対して損害を与えても、謝れば、赦してあげなさいと教える。赦さないと、なぜ赦さないかと責められる。当然、償いが伴う謝罪が必要な状況で、それがなければ、被害者は納得できない。償いが不必要な偏った社会(信仰集団)が出来上がると、人の物を壊しても、償う必要がない考え方をもっているので、法意識そのものが嫌悪され、さげすまれる。赦しなさいに法意識が反していると見做し、見下すからである。聖書は、悔い改めた人を赦すように勧め、謝罪には償いが伴うように勧めている。悔い改めているかどうかは償いが伴う謝罪の言葉があるかどうかで、本当か見せかけかを見分けることができる。
 以上、三つを記した。他にもあるが、直接啓示、二元論、嫌法(造語)が油まき事件の主な思想的背景である。クリスチャンは、聖書啓示に基づいた敬虔な生活、神の主権、償いの伴う謝罪を見直す必要がある。

by maranatha | 2015-06-09 08:45 | 油まき
宗教問題