2015年 08月 27日
モーセで読み解くヨハネの福音書
「律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである」(ヨハネ1:17)この聖句を鍵の言葉として、ヨハネの福音書を読むと、とても興味深い。
2章では、水が葡萄酒に変わる奇蹟は、ナイル川を血に変えるモーセの奇蹟を思い出させる。
3章では、「モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。」(14)この荒野での救いを引き合いに、十字架による救いが語られている。
4章では、モーセ五書を信じるサマリヤ人へ福音が伝えられている。そこにはレビ記の礼拝を超える奥義が語られている。
5章では、イエスは、モーセが伝えた安息ではない教えに縛られている病人を癒し、安息を与えるておられる。
6章では、モーセが荒野で天からのマナを人々に与えたように、イエスがパンの奇蹟を行なっておられる。「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。」(39)の中には当然モーセの五書が含まれている。なぜなら「もしあなたがたがモーセを信じているのなら、わたしを信じたはずです。モーセが書いたのはわたしのことだからです。」(46)と書いてある。
7章では、「もし、人がモーセの律法が破られないようにと、安息日にも割礼を受けるのなら、わたしが安息日に人の全身をすこやかにしたからといって、何でわたしに腹を立てるのですか。うわべによって人をさばかないで、正しいさばきをしなさい。」(23、24)律法をもたらしたモーセと比較してイエスが恵みを与える、安息を与える主として書かれてある。また「このことばを聞いて、群衆のうちのある者は、『あの方は、確かにあの預言者なのだ』」と(40)申命記18章を思い起こさせる言葉を書いている。
8章では、イエスが、姦淫の現場で捕まえられた女を、モーセの律法によれば石打ちにされかねない女を救っておられる。
9章では、イエスは再び安息日に盲人が癒される奇蹟を行ない、神から遣わされたことを証言しておられる。盲人は、イエスを預言者と語り、やがてキリストと信じた。
以上のことで分かる通り、ヨハネは、イエスがモーセが次のように語った預言者であると証言しているのである。「わたしは彼らの同胞のうちから、彼らのためにあなたのようなひとりの預言者を起こそう。わたしは彼の口にわたしのことばを授けよう。彼は、わたしが命じることをみな、彼らに告げる。わたしの名によって彼が告げるわたしのことばに聞き従わない者があれば、わたしが彼に責任を問う。」(申命記18:18、19)