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村上 密 Blog

教材で学ぶか、聖書で学ぶか

 弟子訓練では、弟子訓練の教材によって従順を学ぶ。牧師によっては、黒を白と言ったら白と言い張る牧師もいる。もし、牧師が間違っても、神が従った人を祝福してくださる、と断言する牧師もいる。弟子訓練には「人はみな、上に立つ権威に従うべきです」(ローマ13:1)がよく用いられる。もし、信徒が弟子訓練の教材ではなく、聖書全体を学ぶなら、「神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか、判断してください」(使徒4:19)「人に従うより、神に従うべきです」(使徒5:29)を学ぶことになる。ペテロたちは最高議会の決定に従わなかった。
 
 弟子訓練は、従順を養うための聖句しか引用しない。権威への不服従を教えない。「上に立つ権威」は、直接的には当時のローマの支配であるが、弟子訓練では牧師に置き換える。よって、弟子訓練は牧師に従順な活動的な信徒養成に偏ることになる。牧師に限定された従順は、牧師を実体以上に大きくすることになり、弟子訓練を受けた信徒が何事も牧師に伺いを立てて従う構造が出来上がる。こうして、神の前に平等を教えるプロテスタントの中に、権威主義の教会が出来上がることになる。もし、善悪の判断を牧師に委ねれば、牧師が間違った時、教会そのものが悪い影響を受けることになる。終末には、にせ牧師やにせ預言者に信仰者が惑わされることが預言されてある。

 牧師の務めは、信徒を聖書の教えによって養うことである。そして、間違った教えが教会の中にはいり込まないように注意する。同じように、信徒も、もしも牧師が間違った教えを教会に導入しようとしていたら、それは間違っていますと言えるほどに成熟した信仰に至るべきである。信仰の依存から、自立した信仰による共存によって、教会は堅く信仰に立つことができる。

by maranatha | 2015-09-12 20:08 | 聖書
宗教問題