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村上 密 Blog

権威について 5

カール・F・ヴィスロフは、『マルティン・ルターの神学』の第5章の「最終権威としての聖書」の冒頭で、ルターの次の言葉を引用している。「すべての霊は、教会の面前において、聖書を基準として、吟味されなければならない。なぜなら、聖書が太陽よりも明るい霊的な光であって、特に救いや、(クリスチャンにとっての)生活の基準を知るための光であるということは、クリスチャンにとっては、何よりもまず必要とされ、無条件の真理として保持されなければならないからである。」このルターの言葉に異論はない。しかし、私はルター派ではない。ルターやカルヴァンは、宗教改革を進めていく上で、ローマ・カトリック教会の権威に対して、聖書の権威を重んじた。両者はこのことでは同じ立場であるが、ルター派はルターの聖書解釈を重んじ、カルヴァン派はカルヴァンの聖書解釈を重んじている。聖書の権威が、実は誰がどのように解釈するかに重点が置かれているわけである。

なぜ、カルト化する教会は、プロテスタントが多いのか。聖書の権威より牧師の解釈に重点が置かれているからである。神学や解釈学を十分に学んでいない牧師が、自分の教えが最も優れていると主張するのは滑稽であるが、それを信じる教会員がいる。牧師は、「預言が与えられた。幻を見た。」と語って、学びの不足を啓示形式で補っている。牧師の権威化は、啓示を受けるほど霊的に高い人と思わせることで成立する。カルト化教会は牧師が反知性の立場を取っているので、教会員の読書量は少ない。また非常に偏っている。教会員は派手なパフォーマンスに引きつけられる傾向にある。見分けるための十分な聖書知識がないうちに、従順が徹底されているため、批判精神が育たない。マインドコントロールは、情報のコントロールが使われている。情報のコントロールは牧師を権威化、神格化することで可能となる。牧師は「神の代理人」。この特徴的な言葉に気をつけることだ。権威化の顕著な言葉だからだ。使徒・預言者運動は権威化を進めている。彼らはクリスチャンが解釈より啓示を上に置くことを利用している。現代の惑わしは、油注がれた牧師による霊的解釈が権威あると信じ込ませ、自ら使徒・預言者を自称している。



by maranatha | 2018-03-23 21:32 | 権威
宗教問題