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村上 密 Blog

権威について 10

私はカウンセリングの中で、被害者は弱い立場に追いやられているけれども、被害の状況を出るところに出て、しっかり証言すれば逆転が起ると伝えている。聖神中央教会の永田保元牧師は権力をほしいままにし、被害者を次々に作っていった。しかし、彼を権力の座から引き下ろしたのは被害者の少女たちである。「証言の力」にカルト化の被害者は目覚めなければならない。事実の証言より、真実の証言は勝り、真実の証言より、真理の証言は勝る。共に、「証言の力」によって誤った権威主義の壁を打ち破って行きたい。

「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。」(ローマ13:1)権威の誤用は、この聖句をどのように解釈するかにかかっている。

ペテロは、最高議会の命令を拒否している。最高議会は「いっさいイエスの名によって語ったり教えたりしてはならない」(使徒4:18)と命じたが、ペテロは「神に従うより、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか、判断してください。私たちは、自分が見たこと、また聞いたことを、話さないわけにはいきません。」(使徒4:19、20)このように命令を拒否している。

ヨハネは、黙示録の13章において「権威」を4回使用している。この権威は神からのものではなく、竜からのものである。ローマの迫害下にあった当時の教会は、ローマの政治的権威に無条件で従ったわけではない。皇帝礼拝を拒否したことはよく知られている。

パウロは、裁判の中で大祭司に反論している。大祭司がパウロの口を打てと命じたからである。パウロは打たれる理由がない。確かに「あなたの民の指導者を悪く言ってはならない。」(使徒23:5)。しかし、それは無条件ではない。民の指導者は、民の構成員らしく民に振舞うときのみ、尊敬を受けることができる。ミドラシュ(ラビの聖書注解書)を引用して反論しているわけである。



by maranatha | 2018-03-23 21:47 | 権威
宗教問題