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村上 密 Blog

特集 償い 1

償いについて過去の記事を訂正加筆して特集とした。

「赦しなさい」という人は多いが、「償いなさい」という人は少ない。被害相談者は、身近な人々から「赦しなさい」と強制され、赦せないで、苦しんでいる。時には「赦しなさい」が口封じの言葉として用いられている。聖書の中には償いについて書いてある。償いを請求するは悪いことではない。
1、自発的な償いについて
  加害者が被害者に対して自発的に損害賠償する場合、現物
  にその代価の20%を増し加えるように教えている。
  (レビ記6:2、民数記5:6、7)
2、強制的な償いについて
(1)加害者が現物未処理の場合は、現物の2倍をもって償う。
  (出エジプト22:4)
(2)加害者が現物を処分した場合は、現物の4倍をもって償う。
  (出エジプト22:1)
イエス・キリストを信じた収税人頭のザアカイは、盗み取ったものは、4倍にして償うと言っている。これは自発的なものである。強制的な償いが4倍だから、自らに厳しく対応しているわけである。また、自分の財産を半分は貧しい人々に分け与えることを宣言している。これも自発的なものである。これらの自発的発言によって、ザアカイが救いをどんなに喜んでいるかが分かる。カルト化した教会の牧師は、自発的な謝罪と償いをすることはない。「赦しなさい」を教会員に教え込み、神の立場に立って、赦さない人を裁いている。パウロはピレモンへの手紙の中で、オネシモの負債について、自分が肩代わりすると表明している。罪の肩代わりはできないが、償いの肩代わりはできることを教えられる場面である。カルト化した教会の牧師の肩をもつ友人の牧師たちは、償いの肩代わりをすることはない。問題は、聖書を自分の都合の良いように引用するが、正しく解くということをしないことである。

by maranatha | 2016-05-07 14:00 | 未分類
宗教問題