2016年 08月 19日
医療否定
エホバの証人の輸血拒否は医療否定である。カルト化教会にも医療否定がある。カルト化教会は、すべての病は悪魔と罪の結果であり、祈りによって癒せると信じるあまり、医療行為を不信仰と考える。沖縄キリスト福音センター(美浜教会)の牧師は裁判で医療否定はしていないと証言したが、原告側は医者に掛かるのは不信仰と教えられたので、病院に行かず、深刻な肉体的苦痛と機能低下を招いたと告発している。ところが、牧師は自分の病を癒すためには、こっそりと医療機関に掛かっていた。病と罪を短絡的に結び付ける信仰観は、健康な人を自己義認へと誘う。信者は、一所懸命礼拝に通い、奉仕し、献金し、それを信仰的と勘違いし、自己満足する。だから、不都合なことが起きると、何が悪かったのだろうかと、自分を責める。神は、信者を教え、戒め、矯正し、義の訓練のために、病も用いられる。信仰義認によると、義人はいない。ひとりもいない。「ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められる」(ローマ3:24)そこにあるのは、自分と言う存在が赦された罪人にすぎない、生かされているのは神の恵みによる、この信仰である。それは、人の価値や功に少しも依存しない、ただ、神の一方的な好意である。聖書は祈りによってすべてのことが解決できるとは教えてはいない。自己義認は、自分の信仰と祈りで解決できると教える。それで、自分の信仰が正しいと証明するために、癒しを求める。お題目のように、毎日毎日祈る。病の中にも、苦しみの中にも神の恵みがある事を知らない。
by maranatha
| 2016-08-19 20:26