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村上 密 Blog

謝罪と赦し

「謝ったでしょう。謝ったのに、いつまで、そのことについて言ってくるの。」これは、謝罪ではない。謝罪したと思わせて、責任逃れをしている。「あなたがそう思うのなら謝ります。」これは謝罪ではない。したことを謝っているわけではなく、思わせたことを謝っているので、問題を逸らしている。これでは、被害者意識をとがめられているような気になる。「私の謝罪をAさんがあなたに伝えたでしょう。」対面の謝罪を避けている。そればかりか、謝罪を済ませたと言って開き直っている。謝罪にならない。

謝罪が相手に届く方法はあるのか。それは加害者が罪を悔いて、損害を与えていたら賠償することである。それでも、被害者には赦せない思いがあるかもしれない。加害者の罪に対する対応は、罪を悔いて、謝罪し、賠償したならば、今度はそれを被害者がどのように受けるかが問題となる。赦す、赦さないは、被害者の自由であるが、赦すのが正しい対応である。なぜなら、赦せない自分を赦すことができるからである。

罪は、人間関係を破壊するが、罪を正しく清算することで、被害者も加害者も神の前では同じ罪人であり、神に赦されなければならない存在であることを学ぶ。自分を全く正しいと位置づけて被害と向き合うと、裁くことに思いやりを欠くことになる。自分を同じ弱さを持った人間として、加害者に対応すると、回復を促す心を持って取り組むことができる。
by maranatha | 2016-08-28 22:43 | 赦し
宗教問題