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村上 密 Blog

裁きなさい

コリントの教会の信者は、教会の中で本来は裁かなければならないことを、教会外の裁判に訴えている。日本の教会は教会で本来裁かなければならないことを、裁いてはならないと教えている。教会内で裁きがないので、教会外の裁判に訴えると、赦しなさいの一点張りで、加害者を擁護する立場に立つ。教会は本来、弱い立場の人々を助ける働きを担っている。それなのに、なぜ、加害者に、謝罪しなさい、償いなさいと言えないのか。そこには、加害者が教会内で力を持っていたり、献金が多かったりしていて、教会と加害者の関係をこじらせたくない、教会(或いは牧師)の保身が働いている。結果的に、教会は倒れた旅人を遠回りで避けて通る祭司やレビ人になっている。

イエスの時代には、エルサレムにサンヒドリン(最高法廷)があった。地方にある会堂は、地方裁判所として用いられた。ユダヤ教では、モーセの律法に基づいて、民事刑事の裁判が行われた。キリスト教には、「天の御国のかぎ」が与えられている。これが、教会内において、正義と公平を持って裁く教えである。ユダヤ教が裁判を持っていたように、キリスト教も教会内に裁判を持っている。

参考:「サンヒドリンはエルサレムの外、エリコ・ガリラヤのセフォリス・ハマテ・ガダラに支所が設置されている。その他各地に地方裁判所があり、最低3人で構成し裁判官・書記・執達史・執行人を置いている。」(『新約聖書の背景』北川博水)

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by maranatha | 2016-12-27 21:50 | 聖書と法
宗教問題