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村上 密 Blog

偽善

ある教会が、ある人に対して、医者でもないのに、病名をつけた。
そして、ある教会は、間違った病名を文書に書いて、ある人に送った。
それには、回復するまで、教会は対応できないと書いてある。
その教会のホームページに聖句がある。
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、
わたしのところに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。」
教会に病気をいやしてほしい言っているのではない。
それでも、教会は来訪を願っていない。
回復するようにお祈りしますと文書に書いてある。
その祈りは、拒絶しているのに、教会を正当化する言葉である。
なんという偽善。
間違った病名をつけて、対応を切ることは、差別である。
その人は、この対応に、深く傷ついた。
それ以前から、教会の対応に傷ついていたからである。
傷口に塩や唐辛子を擦り付けられたようなものである。
うめき、苦しみ、私のもとに電話をかけてきた。
私は遠くに住んでいるその人を訪ねた。
苦しんでいるその人と母を伴って人権擁護局を訪ねた。
私たちは今までの経緯を説明した。
また、文書にして、それを渡した。
人権擁護局は対応をしてくれている。
教会は招く聖句とは裏腹に拒絶する。

同じようなことは悪霊追い出しを行っている教会に多くある。
悪霊につかれていないのに、つかれていると言われる。
言われるだけではなく、何時間も強制的に追い出しが始まる。
これは精神的虐待である。
教会にとって不都合なだけで、悪霊つきと言われる。
多くの傷ついた人から相談があった。
教会は過ちを犯しながら、常に自分たちを正当化する。
正しいと思うことと正しいことは違う。

by maranatha | 2017-01-12 22:53 | 虐待
宗教問題