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村上 密 Blog

モルモン教会の啓示

書店で『信仰が人を殺すとき』(J・クラカワー/佐宗鈴夫 河出文庫)を購入した。最初のページを引用する。

「私たちは誠実、道徳、清廉を良きものであると信じています。しかし、それらを理由にして、圧政的な法律を制定し、私たちに自由な宗教活動を禁じれば、それを甘受することはできません。神は合衆国よりも偉大です。政府と神とが対立するとき、私たちは神の御旗のもとに結集し、政府に対抗するでしょう。・・・・一夫多妻制は神のしきたりです。それは神から直接言いわたされたものなのです。合衆国はそれを廃止することはできません。いかなる国家も、それを妨げることはできないし、この世のすべての国家がひとつにまとまっているわけではないのです。・・・・私は合衆国に屈服しません。神に従います。

末日聖徒イエス・キリスト教会、
大管長、預言者、聖見者、そして啓示者である、
ジョン・テイラー(一八八〇年一月四日)」

国家と宗教について論じている初めは、どのような宗教団体かわからないが、「一夫多妻」で末日聖徒イエス・キリスト教会(通称モルモン教会)だとわかる。しかし、この一夫多妻を今も「神から直接いいわたされたもの」として信じ続けて守っているのは、主流派の末日聖徒イエス・キリスト教会ではなく、彼らが関わりがないとしているモルモン原理派である。ジョン・テイラーが「国家も廃止することはできません。」と言い切っていることを、後にウィルフォード・ウッドラフ大管長が「一夫多妻の停止を決断し、啓示によるものとして宣言する。」(資料1)これでは、神の啓示を神の啓示で否定していることになる。創始者ジョセフ・スミスは「神により多妻を認められている」(資料1)としている。ジョン・テイラーの発言の歴史的背景(資料2)とウィルフォード・ウッドラフの歴史的な背景(資料1)も政治的・法的圧力を受けていることは同じであるが、結論は相違している。真理は不変の原則を結論に当てはめると、主流派の末日聖徒イエス・キリスト教会の方が分が悪い。私から見ると、どちらも聖書から逸脱した団体である。なぜなら、モルモン書を聖書と同等に神の啓示の書にしているからである。

資料1 https://ja.wikipedia.org/wiki/より引用
「末日聖徒イエス・キリスト教会
一夫多妻
創始者ジョセフ・スミスは、教義として、一部の指導者は神により多妻を認められているとし、教会員は一夫多妻を実施していた。これは当時の倫理感から一般市民の強い反発を招いた。その後合衆国にて一夫多妻を違法とし、一夫多妻者の移民を禁止する法律ならびに、一夫多妻を指導する宗教の財産を没収するという、モルモン教を対象とした法律(Edmunds-Tucker Act: エドモンド/タッカー令)等が成立すると、教会は信教の自由を根拠に裁判で争ったが敗訴し、破産の危機に陥った。当時の大管長、ウィルフォード・ウッドラフは、一夫多妻の停止を決断し、啓示によるものとして宣言する。この宣言は一部の信徒達の離反を招くことになり、一夫多妻を存続させるモルモン原理派が分派する原因となった。主流派である末日聖徒イエス・キリスト教会は現在一夫多妻制を実施しておらず、行う者は破門すると警告している。以上の経緯から現在一夫多妻を実施している集団は、モルモン主流派である末日聖徒イエス・キリスト教会とは団体的な関わりはないとされる。」

資料2 ジョン・テイラー発言の歴史的背景
http://www.ldschurch.jp/bc/content/Japan/gospel-library/manuals/teaching-of-prophets/of-the-church/john-taylor.pdfより部分引用
1868-1870年 ユタ郡の検認裁判所判事として働く(59-61)。
1877年8月29日 ブリガム・ヤングが死去。その後3年間,十二 使徒定員会会長としてジョン・テーラーが教会 を導く(68-71)。
1880年10月 大管長として支持される。副管長にはジョー ジ.Q・キャノンとジョセフ.F・スミスが召さ れた(71)。
1882年 合衆国議会がエドマンズ法案を可決。多妻結婚 が重罪となり,一夫多妻主義者が投票すること, 公職に就くこと,陪審員として奉仕することが 禁止された(73)。
1882年 ちゅうほしょくざい 「仲保と蹟罪」[TheMediatiOnandAtonement] を出版(73)。
1884年5月 ユタ州ローガン神殿を奉献する(75)。
1885年 カリフォルニア訪問中に,連邦政府官吏により 多妻結婚実施のかどで逮捕命令が出ていること を知る。l月27日にソルトレーク.シティーに戻 る。2月1日に公の場で最後の説教をした後,連 邦政府当局による教会への迫害が収まることを 望んで隠遁生活に入る(76)。
1887年7月25日 ユタ州ケイズビルのトーマス・ルーシュ宅で死 去。78歳。在任中に,教会員は15万人を超える に至った。

by maranatha | 2017-03-16 00:28 | モルモン
宗教問題