2017年 04月 03日
試練と備え 4
9ふたりは神がアブラハムに告げられた場所に着き、アブラハムはその所に祭壇を築いた。そうしてたきぎを並べ、自分の子イサクを縛り、祭壇の上のたきぎの上に置いた。
「祭壇を築いた」は、アブラハムの信仰を特徴づける言葉です。
「そのころ、主がアブラムに現われ、そして『あなたの子孫に、わたしはこの地を与える』と仰せられた。アブラムは自分に現われてくださった主のために、そこに祭壇を築いた。」(創世記12:7)
「彼はそこからベテルの東にある山のほうに移動して天幕を張った。西にはベテル、東にはアイがあった。彼は主のため、そこに祭壇を築き、主の御名によって祈った。」(12:8)
「そこは彼が以前に築いた祭壇の場所である。その所でアブラムは、主の御名によって祈った。」(13:4)
「そこで、アブラムは天幕を移して、ヘブロンにあるマムレの樫の木のそばに来て住んだ。そして、そこに主のための祭壇を築いた。」(13:18)
10アブラハムは手を伸ばし、刀を取って自分の子をほふろうとした。
11そのとき、主の使いが天から彼を呼び、「アブラハム。アブラハム」と仰せられた。彼は答えた。「はい。ここにおります。」
聖書における2回の呼びかけは重要な呼びかけです。
他には、モーセ、モーセ。サムエル、サムエル、サウロ、サウロもあります。
「はい、ここにおります」はアブラハムの信仰の応答です。
18節には「あなたがわたしの声に聴き従った」とあります。
アダムはこれができないで、「恐れて隠れました。」(3:10)。
12御使いは仰せられた。「あなたの手を、その子に下してはならない。その子に何もしてはならない。今、わたしは、あなたが神を恐れることがよくわかった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しまないでわたしにささげた。」
神は私たちの罪をあがなうために実にそのひとり子を惜しまずお与えになりました。
ここに私たちへの神の愛が明らかにされています。
ヨハネはこう言っています。
「神は実にそのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)
パウロはこう言っています。
「私たちが罪人であったとき。キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」(ローマ5:8)