パウロは、天の御国のかぎを、コリントの教会に勧めた。2コリント人への手紙には、1章に「慰め」が多い。2章には「悲しみ」が多い。パウロの先の手紙は「涙の手紙」(2コリ2:4)「愛の手紙」(2コリ2:4)「ためす手紙」(2コリ2:9)と言える。この手紙を受け取ったコリントの教会は天の御国のかぎを用いた。これによって、罪を犯した人が悔い改め、「深い悲しみに押しつぶされてしまうかもしれない」(2:7)状態にあった。教会もまた悲しみに沈んでいる。それで、パウロは「慰めの手紙」(2コリント)を書いたのである。
「その人」(2コリ2:6)と呼ばれる人が、どのような罪を犯したかは、この箇所ではわからない。しかし、教会が「その人」の罪を扱ったことが「多くの人から受けた処罰」(2:6)でわかる。ひとりが責めても聞き入れなかった。証人を伴っても聞き入れなかった。教会で取り上げられて、やっと「その人」は悲しみ、悔い改めた。教会は交わりを絶たなかったので、「その人」は留まっていた。教会も共に悲しんでいた。パウロは、その人を赦し、慰め、愛するように勧めている。(2コリ2:8)「もし、あなたがたがその人を赦すなら。私もその人を赦します。私が何かを赦したのなら、私の赦したことは、あなたがたのために、キリストの御前で赦したのです。(2コリ2:10)マタイにおいては「天」(神の言い換え)をパウロは「キリスト」に置き換えている。
マタイの天の御国のかぎをわかりやすく書いてみた。「また、もし、あなたの兄弟が罪を犯したなら、行って、ふたりだけのところで責めなさい。もし聞き入れたらあなたは兄弟を得たのです。(注1:もし聞き入れなかったらあなたは兄弟を失ったのです。)もし聞き入れないなら、ほかにひとりかふたりをいっしょに連れて行きなさい。ふたりか三人の証人の口によって、すべての事実が確認されるためです。(注2:もし聞き入れたあなたたちは兄弟を得たのです。)それでもなお、言うことを聞き入れようとしないなら、教会に告げなさい。教会の言うことさえも聞き入れないなら、彼を異邦人か取税人のように扱いなさい。(もし聞き入れたのなら教会は兄弟を得たのです。)まことに、あなたがたに告げます。何でもあなたがたが地上でつなぐ(欄外注:禁じる)なら、それは天においてもつながれており、あなたがたが地上で解く(欄外注:赦す)なら、それは天においても解かれているのです。」(マタイ18:15~18)
注1,2,3は導き出せる言葉である。
参照:天の御国のかぎ
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