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村上 密 Blog

苦い根 4

「苦い根」について、2つの注解書を引用した。

人を信仰の道の出発点に立たせるのも、またその道中の生活を支えるのも、<神の恵み>である。したがって恵みによりたのむことをやめてはならない。<神の恵みから落ちる>のは、恵みに欠けたところがあるからではない。神の恵みに満たされておりながら、生活の目標を聖なる神を見ることに置かず、「相続分がこの世のいのちであるこの世の人々」(詩一七14)と同じ思いに支配されるとき、人は神の恵みから離れるのである。このような不信仰の心は<苦い根>であり、これが芽を出し、広がるのを放っておくと、教会全体が悪い感化を受けて、多くの人が同じ傾向に誘われてゆく。著者は、申命記のことばを思い起こしているようである。「万が一にも、あなたがたのうちに、きょう、その心が私たちの神、主を離れて、これらの異邦の民の神々に行って、仕えるような、男や女、氏族や部族があってはならない。あなたがたのうちに、毒草や、苦よもぎを生ずる根があってはならない」(申二九18)そのような者が群れの中から出ないようにお互いに<よく監督>しなければならない。

P.280『新聖書注解 新約3』(いのちのことば社出版部)

第二は<苦い根が現れて・・・悩ま>すことのないようにということである。この句は申二九・一七の引用である。申命記では偶像礼拝者に対して言われているが、ここでは信仰から遠ざかる者、神に不住順な者に対して言われている。

P.386『新共同訳 新約聖書注解Ⅱ』(日本基督教団出版局)

by maranatha | 2017-06-14 11:31 | エリヤハウス
宗教問題