2017年 06月 14日
苦い根 4
「苦い根」について、2つの注解書を引用した。
人を信仰の道の出発点に立たせるのも、またその道中の生活を支えるのも、<神の恵み>である。したがって恵みによりたのむことをやめてはならない。<神の恵みから落ちる>のは、恵みに欠けたところがあるからではない。神の恵みに満たされておりながら、生活の目標を聖なる神を見ることに置かず、「相続分がこの世のいのちであるこの世の人々」(詩一七14)と同じ思いに支配されるとき、人は神の恵みから離れるのである。このような不信仰の心は<苦い根>であり、これが芽を出し、広がるのを放っておくと、教会全体が悪い感化を受けて、多くの人が同じ傾向に誘われてゆく。著者は、申命記のことばを思い起こしているようである。「万が一にも、あなたがたのうちに、きょう、その心が私たちの神、主を離れて、これらの異邦の民の神々に行って、仕えるような、男や女、氏族や部族があってはならない。あなたがたのうちに、毒草や、苦よもぎを生ずる根があってはならない」(申二九18)そのような者が群れの中から出ないようにお互いに<よく監督>しなければならない。
P.280『新聖書注解 新約3』(いのちのことば社出版部)
P.386『新共同訳 新約聖書注解Ⅱ』(日本基督教団出版局)
by maranatha
| 2017-06-14 11:31
| エリヤハウス