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村上 密 Blog

苦い根 5

「苦い根」についてカトリックの注解書を引用した。

15しかし神への道は容易ではなく、その道を歩き始めた者は、途中で警戒を怠らないように注意しなければならない。「神の恵みをもらいそこなう」のhysterein apoとは熟語で、軽率に遅刻したために何か(ここでは神の恵み)を失うことを意味している。賢いおとめと愚かなおとめのたとえ話(マタイ25:1-13)参照。したがって、ここでの本当の意味は、キリスト信者はぶらぶらして気を散らしたり、わき見をして道からそれてはならない、ということを含んでいる。「にがい根が芽を出す」という句の要素は70人訳申29:18(マソラ本文29:17)にある。そこでは文脈全体が神なしに「歩く」と決心した人の先入観に関連している。この節の考えは、双方とも人生を歩くという考えによって選ばれたものであることが後でわかるであろう。「悩ませる」には実際にギリシャ語ではふたつの主語がある。すなわち、1)神の恵みを失ってしまった人、2)「にがい根」。道をぶらぶら歩く人および神なしで自己充足していると思っている人、このような人種は社会全体に悪影響を及ぼしている。なぜなら、そこには悪い手本と社会的な責任問題があるからである。

P.1571、1572『カトリック聖書注解書(改訂版)』(エンデルレ書店)

by maranatha | 2017-06-14 22:45 | エリヤハウス
宗教問題

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