2017年 07月 03日
教会が目覚めるとき
「イエスは、十二人を呼び集めて、彼らに、すべての悪霊を追い出し、病気を直すための、力と権威とをお授けになった。それから、神の国を宣べ伝え、病気を直すために、彼らを遣わされた。」(ルカ9:1、2)イエスがお授けになった力と権威がどのようなものであるかを知るためには8章が適している。8章では、イエスは嵐を静め、悪霊を追い出し、12年間長血を患った女を癒し、ヤイロの娘を生き返らされた。イエスは、天候、悪霊、病、死に対して力と権威を持っておられた。十二弟子はそれらを見聞きしている。イエスが力と権威を授ける前は、イエスの供をする段階であったが、9章からは、力と権威を授かって、派遣された。
8章の4つの奇跡をもう少し見てみよう。「風と荒波とをしかりつけ」(24)からはその背後に悪霊の働きを見ることができるかもしれない。悪霊の追い出しは「ガリラヤの向こう側のゲラサ人の地方」(26)とある。豚を飼う人々が出てくるので、異邦人の地である。長血の女は律法では汚れている。ヤイロの娘は死んでいるので触れば、律法では汚れる。イエスは、嵐の中の舟に乗っても沈むこともなく、ユダヤ人が行かない異邦人の地へ宣教に行かれ、汚れることを恐れず人々の癒しと救いのために行動しておられる。十二弟子はこのようなイエスの供をして福音宣教のありかたを学んだ。
力と権威は十二弟子だけに与えられたのではなく、パウロによると、教会には次のように与えられていると教えている。「神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりではなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。また、神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせ、いっさいのものの上に立つかしらであるキリストを教会にお与えになりました。教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいものもによって満たす方の満ちておられるところです。」(ェペソ1:19~23)
教会が与えられている力と権威に目覚めて行動するときどんなことが起きるだろうか。目覚める前は、力はあるのに制限されてある。制限しているのは、無自覚な自分の意識である。目覚めれば、力は解かれ、現れる。教会には、どんな時代にも、どんな状況の中でも希望がある。
by maranatha
| 2017-07-03 23:22
| 聖書