2017年 07月 05日
牧師が割礼
宗教トラブル相談センターにはいろいろな相談が飛び込んでくる。牧師が、ユダヤの祭りをするようになった。割礼を受けた。聖餐式は種なしパンにこだわり、自分で焼くようになった。葡萄酒はイスラエル産を取り入れている。イスラエルに毎年旅行している。自由参加が強制になれば問題化する。いろいろと程度の問題であるが、牧師が割礼を受けたとなるとそれは問題である。なぜなら、受ける必要がないののを受けているからである。それだけではなく、それを人に語っているわけである。聞いた人の中には、自分も受けなければならないのかと思う人がでてくるかもしれない。イスラエルに傾倒すれば、世俗国家である、現イスラエル共和国のシンパサイザーになるだけである。イスラエル共和国は、「イスラエルを祝福するものは祝福される」のスローガンにつかわれるイスラエルと同じではない。このスローガンで寄付集めがされていることに私は賛成できない。イスラエル共和国はユダヤ教による信仰共同体ではない。ユダヤ教はいまだ神が遣わしたイエスをキリストとして受け入れてはいない。親イスラエルの人々の中に、日ユ同祖論を強調し、ナショナリズムに傾斜している牧師がいるのは滑稽である。どこに人々を導こうとしているのか。イデオロギーに導いては行動に走るだけである。傍証を真実と思い込むとそこには落とし穴が待っている。
P.513 (詳訳聖書新約)
この人たち[ユダヤ化を図る教師たち]は、<あなたがたのきげんをとり、持ち上げて>けんめいになってあなたがたを幻惑させようとしています。しかしその意図はりっぱな<価値のある<何かの益となる>ものではありません。彼らの欲するところは、[彼らに反対している私たちから]あなたがたを引き離して、あなたがたを自分たちの側に引き入れる<あなたがたを彼らの愛顧を求める者とする>ことなのです。
by maranatha
| 2017-07-05 22:27
| 牧師