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村上 密 Blog

救いは神のわざ

私は真理を求めていたが、統一教会員から誘われて、三月ほど、統一教会に通った。その後、私が誘った友人が、ここは教会ではないみたいと言ったので、君が言う教会はどんな教会だと聞いた。すると、友人が友人からもらった手紙に、もし教会へ行くなら島崎のカトリック教会か島崎の熊本聖書教会へと紹介があった。さっそく、カトリック教会に足を運んだ。門が閉まっていた。熊本聖書教会へ足を運んだ。集会案内が門前にあったので、日曜日に足を運ぶことにした。牧師は準備していた礼拝説教を取りやめて、統一教会の間違いを織り込んだ説教をした。会堂の後ろの席に友人と座っていたが、牧師は説教を終えて、私のところに足を運び、「君は随分と本を読んでいるようだが、聖書を読んで見たまえ」と語りかけてきた。説教はこころに残らなかったが、その言葉が心に残り、聖書を以前にも増して読むようになった。そんなある日、私はイエス・キリストの声を聞いて回心した。私は教会を紹介した人の名前を覚えていない。全く面識はない。しかし、私が教会の門をたたいたのは、友人の「ここは教会ではないみたい」、その友人の友人が教会を紹介した手紙の一文がきっかけである。いずれ天国でその人と会う時が来る。お礼を言いたい。今も、ここは教会ではないみたいと言った友人は熊本聖書教会で信仰生活を続けている。伝道することは大げさなことではない。日常の生活の中での何気ない言葉を、神が用いて人を救われる。神は私を用いて多く人を異端から救われた。誰がこのような展開を思い描くことができただろうか。神のみがなせるわざである。
by maranatha | 2017-07-31 11:48 | 救い
宗教問題