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村上 密 Blog

油注ぎ

旧約聖書には油を注がれて就く職務がある。それは、王と祭司と預言者である。王と祭司は世襲であるが、預言者は神によって立てられ一代である。世襲による弊害が出てくるとき、預言者はモーセの教えに帰るように語りかけた。

油注ぎは、神の霊が注がれることの比喩である。神の霊が注がれて行動する預言者は歓迎されるよりも歓迎されない。それは、人が神に従うよりも自分の欲に従って行動することを求めているからである。

「正しい者が愛情をもって私を打ち、私を責めますように。それは頭にそそがれる油です。」(141:5)という聖句がある。欄外には「頭にそそがれる油は」別訳では「最上の油」と書いてある。心から心配して、愛情を持って、私たちを正してくれる存在がいかに重要であるかを、この聖句は教えてくれる。

油を注いでくださいと祈る人々がいる。その祈りは神によって砕かれることを含めて祈っているだろうか。自己実現のために神の力と助けを求める利己的な信仰に陥ってはいないか。そのような信仰観を正す言葉に耳を傾けないで、油を注いでくださいと祈っても、それはむなしい。最上の油は、「正しい者が愛情をもって私を打ち、私を責めますように」と祈る者の上に注がれる。私たちは神に忠実な信仰者を身近に持って、時に正してくれる人を必要としている。消費を煽る公告と繁栄を煽る説教に振り回されてはならない。

by maranatha | 2017-08-20 22:32 | 聖書
宗教問題