人気ブログランキング |
ブログトップ

村上 密 Blog

パウロがコリント教会で「天の御国のかぎ」を行使

赦しなさいを強調する人は多い。裁きなさいを強調する人は少ない。しかし、裁かなくてよいわけではない。時には裁きが必要である。パウロは次のように言っている。「私があなたがたのところへ行くのは、これで三度目です。すべての事実は、ふたりか三人の証人の口によって確認されるのです。私は二度目の滞在のときに前もって言っておいたのですが、こうして離れている今も、前から罪を犯している人たちとほかのすべての人たちに、あらかじめ言っておきます。今度そちらに行ったときには、容赦はしません。」(2コリント13:1、2)この言葉で申命記19章15節を思い浮かべる人もいるだろう。しかし、これはむしろパウロの「天の御国のかぎ」(マタイ16:19)の適応である。マタイ18章15節から20節には「天の御国のかぎ」について詳しく書かれてある。

「また、もし、あなたの兄弟が罪を犯したなら、行って、ふたりだけのところで責めなさい。もし聞き入れたら、あなたは兄弟を得たのです。もし聞き入れないなら、ほかにひとりかふたりをいっしょに連れて行きなさい。ふたりか三人の証人の口によって、すべての事実が確認されるためです。それでもなお、言うことを聞き入れようとしないなら、教会に告げなさい。教会の言うことさえも聞こうとしないなら、彼を異邦人か取税人のように扱いなさい。まことに、あなたがたに告げます。何でもあなたがたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたがたが地上で解くなら、それは天においても解かれているのです。まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」(マタイ18 :17 ~ 20)

「つなぐ」は禁じる「解く」は赦すことである。ここには赦しと裁きを教会がどのようにするかが書いてある。イエスはこの権限を教会に与えられた。「教会の言うことさえ聞こうとしない」とは罪を認めようとしないことである。その場合は「異邦人か取税人のように扱いなさい」である。ユダヤ人はこのような人々と交わりをしないようにしていた。ただし、イエスや弟子たちは悔い改めて信仰を持った異邦人や取税人とは交わりをした。「異邦人や取税人のように扱いなさい」は罪を認めて悔い改めようとしないので教会の交わりからの追放を意味した。これがパウロの「容赦はしない」の意味である。パウロは罪を犯した人が悔い改めないので今度の訪問で裁く予定にしている。赦しなさいだけが聖書の教えではない。正しく裁くことも聖書の教えである。それが「つなぐ」「解く」である。口当たりの良い「赦しなさい」で問題を解決しようとする人は、悔い改めを勧めもしないので加害者に加担していることになる。悔い改めた人に対して赦しを勧めるのであれば、それはわかる。もし、真に悔い改め、損害を与えているのであれば償いがあって当然である。

by maranatha | 2017-11-04 23:39 | 聖書
宗教問題