2017年 11月 06日
悔い改めない者には裁き、悔い改めた人には赦し
パウロの言葉の中で最も強い言葉の一つである。「私は二度目の滞在のときに前もって言っておいたのですが、こうして離れている今も、前から罪を犯している人たちとほかのすべての人たちに、あらかじめ言っておきます。今度そちらに行ったときには、容赦はしません。」(2コリント13:2)この節には相手の名前はありませんが、教会の中ではよく知られている人である。この人々に向かってパウロは「容赦はしません」と書いている。パウロはこの人々にさらに語りかけている。「あなたがたは、信仰に立っているかどうか、自分自身をためし、また吟味しなさい。それとも、あなたがたのうちにはイエス・キリストがおられることを、自分で認めないのですか――あなたがたがそれに不適格であれば別です。――しかし、私たちは不適格でないことを、あなたがたが悟るように私は望んでいます。」(5、6)パウロは裁きたくはない。本当は罪の悔い改めを願っている。それで、祈りが次に書いてある。「私たちは、あなたがたがどんな悪をも行なわないように神に祈っています。それによって、私たち自身の適格であることが明らかになるというのではなく、たとい私たちは不適格のように見えても、あなたがたに正しい行ないをしてもらいたいためです。私たちは、真理に逆らっては何をすることもできず、真理のためなら、何でもできるのです。私たちは、自分は弱くてもあなたがたが強ければ、喜ぶのです。私たちはあなたがたが完全な者になることを祈っています。」(7、8、9)「祈っています」が2回ある。コリント第2の手紙の目的は「そういうわけで、離れていてこれらのことを書いているのは、私が行ったとき、主が私に授けてくださった権威を用いて、きびしい処置をとることのないようにするためです。この権威が与えられたのは築き上げるためであって、倒すためではないのです。」(10)
by maranatha
| 2017-11-06 19:38
| 赦し