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村上 密 Blog

赦しなさい と言う裁き

裁いてはいけない、とよく言われる。そう言っている人は、加害者に謝罪しなさいと言いもしない。双方から聞き取りをして公平な判断をしようともしない。赦しなさいと簡単な解決方法に逃げている。そのような言葉は、一方的な判断を押し付けているのであって、解決にはならない。加害者に加担する人が増えただけである。害を与えた人と害を与えた人をかばう人が解決できるわけがない。加担者は赦しなさいと被害者を裁いているのである。赦さないと神の言葉に背くことになり、信仰的ではない。信仰的でないのは、ただ赦しなさいと紋切り型の言葉しか言えない人である。聖書は正しく裁くことを教えている書でもある。パウロは「前から罪を犯していた人たちとほかのすべての人たちに、あらかじめ言っておきます。今度そちらに行ったときには、容赦はしません。」(2コリント13:2)と言っている。悔い改めない人に向けられた言葉である。赦しなさいと言う人は、加害者に悔い改めなさいと言っているだろうか。間に入る人に要求されるのは、公平な裁きである。それは、悪い事には悪いと言って、悔い改めない人にはふさわしい処罰を下すことである。経済的または深刻な精神的被害を与えていたら、それにふさわしい償いをすることを勧めることである。公平な裁きをしない人はそのさばきによって自分を裁くことになる。それはその人が公平ではないことが明らかになり、信用を失うことになるからである。ただ赦しなさいと言う人は、ただそれしか言えない人で、本当の聖書の教えを知らないことを明らかにしている。このような愚かな裁き人を信じて従ってはならない。被害者は声を上げ、公平を求め続け、被害の状況を公にして、正しい裁きを求めることが必要である。赦しなさいと言って、赦すこと以外を赦さない人、赦しなさい、と言って裁く人に譲歩してはならない。それは愚かな裁きを受け入れることになるからである。。

by maranatha | 2017-11-22 00:58 | 赦し
宗教問題

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