2017年 12月 05日
正しい判断
教会の駐車場で接触事故が起きたと仮定しよう。当てた人が謝るだけで済むだろうか。示談で済ませる場合もあるが、自動車の保険会社に任せるか、警察を呼ぶかである。より客観的な判断が大切である。
教会の中で盗難があったと仮定しよう。牧師は被害にあった人に警察に届けないように言った。理由は、教会の恥になるから。これでは何の解決にもならない。これは、解決ではなく、隠ぺいである。
教会の中で、障害者への差別発言があった。発言者への厳重な注意と被害者への謝罪は当然である。ところが、牧師や役員会が差別発言をした場合はどうだろうか。注意すべき立場の人が注意されるべき立場になったわけである。誰もこの問題を扱わないで放置され、被害者は深刻なダメージを受けた。被害者が取れる取り組みは、法務局に常設されている人権相談所に相談することである。それでもだめなら弁護士に相談して、解決する道がある。大切なのはあきらめないことである。そうでなければ、教会全体が差別体質を持ったまま教会運営をして、これからも被害者が出続けるからである。深い悲しみは自分で止める勇気が必要である。
by maranatha
| 2017-12-05 12:10
| 聖書と法