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村上 密 Blog

取税人マタイ

マタイの召命記事をマタイの福音書(以下マタイ)とルカの福音書(以下ルカ)で比較すると興味深い。彼は収税所に座っていた。イエスは彼をご覧になり、「わたしについて来なさい。」(マタイ9:9)と言われ、彼はついていった。「イエスが家で食事の席に着いておられるとき」(マタイ9:10)とはどこの家だろうか。ルカには「レビは自分の家で」(5:29)とある。その家に招かれた人たちは「取税人と罪人」(マタイ9:10)である。ルカでは「取税人たちや、ほかにおおぜいの人たち」とある。マタイは「取税人たち」、仲間を複数招いたわけである。「ほかにおおぜいがの人たち」の中に「罪人」が含まれている。当時のパリサイ人たちからさげすまれていた。彼らの家に訪れるのは同じ罪人と言われる人々で、イエスのような方が訪ねることはまずないことである。イエスが取税人のかしらのザアカイの家に泊まることにしているからと語りかけられたとき、彼の喜びはひとしおであった。その喜びは「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」(ルカ19:8)に表れている。マタイはどうだろうか。彼は「イエスのために大ぶるまいをした。」(ルカ5:29)食事に集ったのはイエスだけではない。「取税人や罪人が大ぜい」(マタイ9:10)である。ここにマタイの喜びが表れている。彼は自分だけではなく、自分と同じ罪人と言われる人々とイエスの食事の場を設けて、イエスの話を聞く機会を提供した。マタイは食物を分かち合い、イエスの言葉を聞く機会を分かち合った。

ルカの福音書にイエスのたとえがある。「取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』あなたがたに言うが、この人が、義と認められて家に帰りました。」(ルカ18:13,14)これはたとえであるが、イエスの身近であった出来事のように思われる。

by maranatha | 2018-02-27 18:37 | 聖書
宗教問題