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村上 密 Blog

権威について 4


権威への服従は、信仰の自由が許されている状況下であり、権威への不服従は、信仰の自由が禁じられる時である。クリスチャンは権威に盲従してはならない。第二次世界大戦下でキリスト教は国家権力に服従した。それは正しかったのか。良心的拒否をして迫害されたキリスト者がいたことを覚えておくべきだ。

権威主義の牧師は、なぜ、権威を振りかざすのか。それは、権威をどこかで失ったからである。権威を持っていたら、誰もが認めるので、振りかざす必要はない。それでは、どこで権威を失ったのか。神の前に罪を犯し、世俗主義と妥協したときからである。悔い改めることをしないで、神の言葉に仕えることはできない。それでも神の言葉に仕えなければならないとき、失った権威を持っているように装う。空虚感を埋めるため、一層権威を振りかざすようになる。そして、神の言葉を自分の都合の良いように語り始める。牧師に権威が付与されるのは、職務に忠実な生活を過しているときである。すなわち、聖書に従って、正しい福音を語り、聖い生活を過し、神から与えられた牧会に謙虚に仕えているときである。不忠実な者が権威を振りかざすから、被害が拡大する。福音に背いて、牧師に権威が与えられるはずがない。権威は牧師に無条件に与えられているのではない。講壇で、「私は油注がれている。」「私には権威が与えられている。」このように声高に語る牧師がいたら、権威を失っていると思って間違いはない。


by maranatha | 2018-03-23 21:29 | 権威
宗教問題