2018年 06月 15日
ある信仰者
6月14日、77歳の女性の告別式を執り行った。脳梗塞で倒れ、瀕死の状態から回復し、13年間施設で過ごされた。2回目の脳梗塞で話す力を奪われた。訪問を繰り返す度に賛美をすると反応があった。私は彼女の信仰から慰めと励ましを受けた。彼女は礼拝に遅れないようにいつも早く教会に着き、信仰の模範を示してくれた。彼女は会堂の前列から2番目の通路側にいつも座った。そこは礼拝に参加する者にとってベストポジションである。気を散らすことなく、説教を聞くことに集中できる。説教が終わると、今日は良くわかったわ。わかり易かったわ。難しかったわ。眠ってしもうて済みません。素直なコメントが説教を語るものを励ました。べストポジションに座るその人のその日の有りようが人々に影響を与える。私はわかり易く、飽きない説教を心がけるように努めた。もし、私の説教が良いとの評価を受けるとすれば、この方の存在は大きい。もし、悪いとすれば、それは私の責任である。人はそれぞれ神から役割を与えられている。私は語る奉仕、彼女は聞いて励まし慰める奉仕をしてくれた。信仰の模範を示してくれたが、彼女の後を受け継いでいる人はいない。そう思うと、彼女は社会的になにか活躍したわけではないが、信仰が養われる場で、神に励まされながら栄光を現した。私はこのブログで彼女の生涯を伝えることによって、彼女の信仰生活から学び取る人が起こされることを願う。
by maranatha
| 2018-06-15 22:43
| 信仰