2018年 09月 03日
油注ぎ
サムエル記ⅠⅡと列王記ⅠⅡは王政の始まりから終わりまでを記録している。一つの歴史的続き物である。預言者はこの王政の期間に活動している。預言者は、王、祭司、指導者、民がモーセの教えに従うように語り続けた。彼らは宗教的には保守的な立場の人たちである。ヘブライ語聖書はモーセ、預言書、諸書で構成されている。サムエル記ⅠⅡと列王記ⅠⅡのような歴史的記録を前預言書、預言者自身の書を後預言書と言う。油注がれて王となった人物を、油注がれて預言者となった人物が「見張る」のである。当然、悪しき王によって預言者は毛嫌いされ、殺されることになる。割の合わない職務に預言者が召されたのは神によってである。彼らは生ける神をその職務の中で経験した。預言者が自分の召命記事を書いているのは、王や祭司のような世襲制でないので、神によってこの職務に就いた証を書いているわけである。神に仕える人に必要なのは生ける神との出会いである。生ける神によって油注がれることこそ、なにものにも立ち向かっていく力の源である。
by maranatha
| 2018-09-03 16:22
| 聖書