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村上 密 Blog

赦すか裁くか

「『主よ。兄弟が私に対して罪を犯したばあい、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。』イエスは言われた。『七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います。』」(マタイ18:21,22)ここだけを読むと徹底的に赦しなさいをイエスが教えているように見える。しかし、イエスは七度の七十倍と語られる前に、兄弟間の罪の問題をしっかりプロセスを踏んで裁くように教えておられる。「兄弟が罪を犯したなら、行って、ふたりだけのところで責めなさい。・・・それでもなお、言うことを聞き入れようとしないなら、教会に告げなさい。教会の言うことさえも聞こうとしないならば、彼を異邦人か取税人のように扱いなさい。」(18:15~17)「彼を異邦人か取税人のように扱いなさい」とはユダヤ人は異邦人か取税人との交わりをしないようにしていた。それは兄弟の交わりから追放を意味した。赦しなさいではなく、裁きがしっかり語られていることを見過ごしてはならない。また、七度の七十倍を語られた後、23節から天の御国のたとえをイエスは語られた。借金の返済に対して、「主人の前にひれ伏して、『どうかご猶予をください。そうすれば全部お払いいたします。」と言った。」(26)借金の返済は当たり前である。ひれ伏して返済の猶予を願い出たしもべを「かわいそうに思って、彼を赦し、借金を免除してやった。」(27)赦しが先ではない。15節から流れている「悔い改めたら」を見失ってはならない。悔い改めるものに対して「赦し」が与えられるのである。一方、赦されたしもべは同じしもべ仲間で、彼から借金をしている者に出会った。借金を返済するから猶予をくださいと願うしもべ仲間に対して牢に入れた。ここでこの出来事を知った主人が再び出てくる。先のしもべへの赦しは取り上げられ、「主人は怒って、借金を全部返すまで、彼を獄吏に引き渡した。」(34)「あなたがたもそれぞれ、心から兄弟を赦さないなら、天のわたしの父も、あなたがたに、このようにされるのです。」(35)赦すように語られる神が、悔い改める者を、赦さないなら、神は赦さない者を裁かれるとイエスは教えておられる。このように聖書を解く説教者たちがどれほどいるだろうか。聖書の言葉を用いて、赦しなさいばかりを強調しているのではないだろうか。聖書の神は悔い改めたものに対して赦しに富んでおられる方である。それに対して、悔い改めたものを赦さないなら、赦さない者を裁かれる神である。私たちが見分けなければならないのははたして彼は本当に悔い改めたのか。悔い改めるふりをして見せたのではないか。見分ける方法がある。謝罪である。借金を返済しますとの言葉である。
by maranatha | 2018-09-17 15:58 | 聖句の誤用
宗教問題

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