2018年 10月 04日
「うそだ」はうそか本当か
私のあるブログの記事に対して「うそだ」と言う人がいる。では本当は何かを言わない。否定だけで記事がうそになるわけではない。うそである証拠と証人の発言を明示しなければ、「うそだ」はうそではなく、「うそだ」と言っているに過ぎないことになる。私としては、「本当は・・・」とやり取りがあってと言えば、さらに知っていることを書いて、内容的がもっと「うそだ」と発言する人に対してダメージになるようには準備をしている。ということを予測してか、「本当は・・・」と反論する人もいない。村上はこう言ったと書くが、自分はどのように言ったかを書かない場合は、自分に都合の良いことを取り上げているに過ぎない。その時、本当のことを言ったかもわからない。「・・・」と言っていた、と「」付きで記憶しておくしかない。だれかの記事を証拠と思い込んで引用している人もいるが、その背景を知らないで、これは証拠になると思い込んでいるものは、実はそれを書いた人の許可を得たものでもなく、真実でもなく、思い込みを書いたに過ぎないことがある。なぜなら、書かれてあることが本当であるならば、私はどこかの機関に処分されていることになる。ところがどこからも処分されていない。「うそだ」がうそと証明されていない証拠である。このような書き方は、何の事だろうと、読者は思いめぐらし、勝手にあの記事ではないだろうか推測することになる。自分に関係なければ読み飛ばしてよい記事である。裁判とか、第三者機関とか、団体の判断とかが出ていない限り、「うそだ」は軽はずみな発言である。ちなみに、私個人は今まで裁判で判決を受けたことはない。また発言が裁判でうそだと判断されたこともない。
by maranatha
| 2018-10-04 09:00
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