2018年 10月 10日
聖イエス会の教会であったこと 2
私が、式後、直ぐに全てを白紙にしたのは、将来のためにも離婚になりたくない、との気持ちがあったからです。そんな私の思いも、あの人達によって握り潰されました。そうはさせるか、との心理が明らかでした。他人によって、しかもその他人は救いを伝える牧師です。その人が、信者の私が、自分の人生を守ろうとしたことを、その決意を握り潰され、自由意志を許さないどころか、牧師は強制的な威圧で、私の人生を自分で守ることも許さなかったのです。命令とも言える口調で、「全てを白紙にするというなんて、もう無理だ、あなたがどう言おうと結婚しないなら離婚からは逃れられません。」私は、何もかもが進む前に止め、白紙にしないといけないと思い、自分を守りました。しかし、牧師は、「あなたは結婚をしなかったとしたいだろうが、そんなことは許されるわけないです!あなたは離婚するのですか!」でした。
そんな偏った教団の身勝手な決めつけが、公にまで広がっても牧師は無関心、無責任でした。私はその後この牧師によって作られてしまった事実でないレッテルに悩まされていきます。牧師は信者に事実を説明せず、つい最近まで離婚の罪として除名にされた、と思っていた信者がいたり、母が当時少しか関われた信者に、事実は違う、結婚していないし離婚ではない、と伝えられるだけ伝えなければな、なくなったり、しかし一部の信者の口から、意図的に世間に離婚したと広められてしまったり、対処しなかった牧師の故意とも言える対応で、そういった原因を全て作り出したのが牧師達です。こんなことをされたから、結婚しなかったのに長年一人、病んで自由意志がわからなくなり、苦しむ生活にされてしまったのです。
若かった私は、当然、皆が抱くように、自分で決めた結婚をして、幸せになりたい思いでした。そのような将来を希望していました。皆そうだと思います。
しかし、この結婚は自由もない権力の結婚、私は納得もなく、ただの政略結婚みたいで、男性側中心で女性側の権利も主張も蔑ろにされている、こんな結婚したら大変だ、幸せではない、だから結婚はしないと思い、この結婚はしなかったのです。しかし、その決断も他人の力、牧師によって握り潰されました。
牧師の「どうあっても成立している、だから離婚になる、もう逃れられない。」と言い張る言葉と頑なな態度が、この期間の記憶が今でも精神状態を不安定にさせ、記憶が蘇り、「逃れられないぞ!」という恐怖をキリスト教から受けたショック、牧師から来る非現実的な脅迫で自分一人追いやられた悲しみや孤独と恐怖の記憶が蘇ります。20数年苦しめられているこれこそが、私が牧師夫妻を許せない原因です。
聖イエス会で生きていく私は、一生離婚者になります、そしてそれは様々な障害になり、もう結婚は出来ない、という意味で言われたのです。牧師は「離婚なら、もうこの先の結婚は難しいですね、するならどこか外でやってください。キリスト教以外でやるなら勝手ですからね!」と言いました。(聖イエス会に提出した、除名後直ぐに牧師に当てて書いた手書きの手紙にも書いてあります) 信じていたキリスト教の牧師が、この言葉を投げ捨てるように、言い放ったあの時の悲しみは未だに心の深いところで拭い去れないものとなって残っています。