2018年 10月 10日
聖イエス会の教会であったこと 3
私は結婚した、とか、そして離婚だとか、そんなことを、してもいない結婚だのに、こんな強制的な決めつける牧師はどうしてこんな事が言えるのだろうかと思いましたが、牧師の前では、そんな常識も通用しません。このやり方で、結婚しないことを諦めさせて結婚させる、こんなやり方を、聖なる牧師職の人間がしたのです。ひどいことをしていると思います。キリスト教の牧師から、クリスチャンとして、(当時は聖イエス会の信者として生きていく上で)もう幸せな将来は無いと指導されたら、どんな状態になるでしょうか想像できます。私はこの結婚するしかないか、と追い詰められたのです。祈り続けました。本当に祈りました。しかし、神様は結婚する苦しみを進むようにはされませんでした。しかし、祈りながら、私は、もう諦めて結婚するしかないのか、でもそれは無理、私が結婚しないほうを選択すると決めたら、もうクリスチャンとしての結婚は望めなくなる、これからどんなクリスチャン生活を送らなければならなくなるのだろう、と一人悩み続けました。どこからも助け舟がなく、孤立させられた状態で信者にも相談できず、まして相談にのってもらえるはずの牧師夫妻からこれを突きつけられている状態でした。一人で祈るしかありませんでした。聖イエス会という大きな集団が自分を追い詰め、私はこの教団、牧師、教会から、この先何をされるのだろうという恐怖の中でいたその日々を覚えています。
そんな中で、結婚しないとの意志を示した時に、牧師に言いました。私は教会で離婚した、と言われたら、世間でもそう思われてしまう、そんなこと言わないで欲しいと牧師に言いました。そうしたら、牧師は、「じゃあ、ここから出て生活するしかないですね、どこか遠くの知らない人のところでもう一度生活を立て直すしかないですね、」と言ったのです。自分は育った故郷にもおれない、そこまで私はなってしまうのだ、と本当に悲しみでした。そもそも、自分達教会が原因全てを作っておきながら、自分で尻拭いしろ、故郷を出ろと言うのです。
私はそんなことを言われる人間なのかと絶望しました。私はただ静にクリスチャンとして信仰生活をし、信仰のもとに音楽、仕事、そしていずれ将来は結婚して、ただ信仰と共に神様を信じて生きようと、ただ、存在していただけです。しかし、突然、私に白羽の矢が立てられ、こんな人生を強いられました。静かに信仰生活を送りたかっただけです。しかし、教会へ行くことも禁じられ、結婚の希望も奪われ、クリスチャンとして離婚者とレッテルをはられ、そんな重荷を若いクリスチャンとして教会を信じ切っていた女性に、到底背負えるものではありませんでした。それをやる教団牧師の行動に、誰もが頭を混乱させられ、曲げない態度に精神がやられてしまうのは当然の行為です。酷い人間達だと思いましたが、今回の態度からみても、やっぱり今も同じ性質が変わっていないと改めてわかりますが、牧師のあの時のやり方は今も頭から消えません。それで、私は故郷でも自由に外出して仕事して社会の中に入って生活することが出来ない精神状態にされたのです。全て傷者のレッテルを作っていったのが教会で、それまで通りの自分の生活が出来なくなった原因です。今でも故郷では、当時の音楽活動していた世界にはてられていません。突然私は消えたままです。人間のすることではない、酷いです。これが私にやった牧師のやり方でした。除名も酷いですが、クリスチャンとして生きていたまだ若い私は、自分のプライベート、将来、結婚という大事なことを、聖イエス会の牧師を通して離婚と定めることにより、絶望に変えられてしまい、牧師の酷い行為に精神に大きなダメージを受けた一番深い原因です。