2018年 10月 10日
聖イエス会の教会であったこと 5
今でも聖イエス会の牧師にされていた時の思考が離れず、その後の縁談が駄目になり、そんなところを通らされ、深い回復不可能と思う苦しい思いが、今も続き苦しんでいます。これが、私は自分が離婚した者としてクリスチャンとして生きていかねばならなくなったと、教会も行けない、行っても離婚者と扱われる、信仰者として結婚は出来ない、として、20代に普通の精神状態で生きていた自分がだんだん、だんだん潰れていったのが事実です。だから牧師は人の人生を狂わしたのです。これは事実です。私も母親も当時(祖母も生きていましたが、私達は教会が恐ろしくどうしたらよいかわからない状況に追い詰められていました、祖母の日記にも記してあります。)
「慰謝料を請求されても知りませんからね!」とも牧師は私たち親子に言ってきました。慰謝料って、離婚していると勝手に作り上げているのは牧師だのに、なんで慰謝料なの?慰謝料はこっちが請求したいくらいなのに!と思い、なんてことを言う牧師だと思っていました。何を言っても私が、悪くされるのだと恐怖しかありませんでした。「結婚はしなかったから、何もないとしたいと思っても、そうはいかないですよ!離婚ですから、向こうから慰謝料とか請求されることにもなりますからね!」と牧師が発言したとは信じられないと思います。しかし、事実です。