2018年 11月 03日
トラウマを克服 3
掲載するのはスイトピーさんの投稿記事です。彼女は長い間セルフイメージが低く、自分を卑下してきました。カイロスの会で参加者と食事をしているときに、「悔い改めの祈り」の話がでました。その内容を聞いて、セルフイメージの低い原因がわかり、それは自分を虐待しているよ。止めたほうがいいよ、との話になりました。そして、彼女は教えられた祈りを止めました。そして解放されました。
数週間前に村上先生が私の記事をブログで紹介してくださいました。
トラウマを克服 : 村上 密 Blog
https://maranatha.exblog.jp/27587726/
そして、その後にこのことに関しての解説を村上先生が記事で書いてくださいました。
トラウマを克服 2 : 村上 密 Blog
https://maranatha.exblog.jp/27590269/
上記で私は白い家について書きました。続きです。「悔い改めの祈り」は、他のカルト化教会の被害者の方々も経験あると思います。そして、カルト化教会の被害者の中には、「何が罪で、何が罪ではないのか」わからなくなっている方が多いのでは?と思います。私もそうでした。
今もあやふやなところはあります。
先日村上先生とこのようなメールやり取りをしました。紹介します。
(スイトピー) 毎日生活していたら、悪い考えになることもあるし、失敗もします。誰かと喧嘩や言い合いになることもあるし、仲良くできない事もあります。ある人をどうしても好きになれない、あるいは嫌いと思う事もあります。相手がクリスチャンでも、そう思う事はありますね。
(村上先生) 当たり前です。それが人間です。
(スイトピー) 私はそういうことを毎日悔い改めていました。しかし、悔い改めの祈りをしなくなってから、楽にはなりましたが、そのような事柄をどう考えたらよいのか、
(村上先生) いちいち考えるから悔い改めなければならないのではと思うのです。当たり前の感情を殺すことはできません。それ以上悪くならないように心がけるだけです。
(スイトピー)どう祈ったらよいかわからなくなりました。
(村上先生) いちいち考えるからです。
(スイトピー) 嫌いな人や気が合わない人がいても、それは罪ではないのでしょうか?
(村上先生) 罪ではありません。
(スイトピー) 気が合わないから、嫌いだからと言って、いじわるしたり、悪口を言ったり、相手が困ることをすれば罪だけど、嫌いなので話をしない、仲良くしない、距離を置いている、関わらないようにしている、は、罪ではないでしょうか。
(村上先生) 罪ではありません。
このやり取りで私は今まで「これは罪」と思っていたことが罪ではなかったとわかりました。とても驚きました。カルト化教会では、「心に思ったことも罪」と教えられていたので、「これは罪だろうか、あれは罪ではなかっただろうか。」と心配して、始終自分の心の中を点検するようなことをずっとやっていました。私は罪ではなかったことを罪と思い込まされていたのです。しかも、カルト化教会所属していたのが6年半(役7年)、脱会したのが2006年秋、私が続けていた悔い改めの祈りが間違っているとカウンセリングの中で気づいてやめたのが去年の秋(脱会後11年)、それを足して18年。約20年近くもこんな祈りをしていて、自分を否定し続けていたのです。我ながら驚きました。