2019年 05月 17日
牧師が解釈を独占
今日「解釈を牧師が独占」と「牧師が解釈を独占」を検索したら、上位3件が同じく村上密ブログの記事だった。一部を抜粋してみた。このような表現はほかに検索の結果が出なかった。どうやら2014年6月9日の記事が、今まであまり表現されてこなかった言葉で、教会のカルト化に警鐘を鳴らし始めたことになる。
1、「教会のカルト化の一因」2日前「聖職者が解釈を独占してきたことは否めない。それは信徒が 解釈の学びを自ら取り組むことが少ないからである。間違った 解釈が教会の中に入らないように目を配るのが 牧師だけであることは危うい。」(一部抜粋)
2、「権威について」2018年3月23日
「問題は、聖書の解釈を牧師が独占していることである。情報を遮断し、牧師の解釈だけが正しいと信じ込まされている。 組織神学も解釈学も十分に学んでいない牧師が権威を振り回し、 服従を強制する。なぜ権威を強調するのか。 」(一部抜粋)
3、「すり替える」2014年6月9日
「 問題は、聖書の解釈を牧師が独占していることです。情報を遮断し、牧師の解釈だけが正しいと信じ込まされています。組織神学も解釈学も十分に学んでいない牧師が権威を振り回し、服従を強制します。なぜ権威を強調するのでしょうか。」(一部抜粋)
他に村上密ブログを調べてみると「牧師の神格化」(2016年8月19日)の中に以下のような記事がある 「ところが、カルト化教会の 牧師は、自分の解釈を権威化し、自教会を権威化し、 牧師自身を権威化した。これでは、教皇の権威に対して聖書の権威を主張したプロテスタントが、 宗教改革の精神を失っていることになる。」
参考:村上密ブログのカテゴリー「権威」
by maranatha
| 2019-05-17 23:42
| 聖書解釈