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村上 密 Blog

牧師が解釈を独占

今日「解釈を牧師が独占」と「牧師が解釈を独占」を検索したら、上位3件が同じく村上密ブログの記事だった。一部を抜粋してみた。このような表現はほかに検索の結果が出なかった。どうやら2014年6月9日の記事が、今まであまり表現されてこなかった言葉で、教会のカルト化に警鐘を鳴らし始めたことになる。

1、「教会のカルト化の一因」2日前「聖職者が解釈独占してきたことは否めない。それは信徒が解釈の学びを自ら取り組むことが少ないからである。間違った解釈が教会の中に入らないように目を配るのが牧師だけであることは危うい。」(一部抜粋)

2、「権威について」2018年3月23日
問題は、聖書の解釈を牧師が独占していることである。情報を遮断し、牧師の解釈だけが正しいと信じ込まされている。組織神学も解釈学も十分に学んでいない牧師が権威を振り回し、服従を強制する。なぜ権威を強調するのか。」(一部抜粋)

3、「すり替える」2014年6月9日
「 問題は、聖書の解釈を牧師が独占していることです。情報を遮断し、牧師の解釈だけが正しいと信じ込まされています。組織神学も解釈学も十分に学んでいない牧師が権威を振り回し、服従を強制します。なぜ権威を強調するのでしょうか。」(一部抜粋)

他に村上密ブログを調べてみると「牧師の神格化」(2016年8月19日)の中に以下のような記事があるところが、カルト化教会の牧師は、自分の解釈を権威化し、自教会を権威化し、牧師自身を権威化した。これでは、教皇の権威に対して聖書の権威を主張したプロテスタントが、宗教改革の精神を失っていることになる。」

参考:村上密ブログのカテゴリー「権威」

by maranatha | 2019-05-17 23:42 | 聖書解釈
宗教問題