2019年 05月 19日
筧
幼いころ、母の実家に遊びに行くと、水道もあったが、まだ筧を現役で使っていた。ふろ水に、足洗いに、野菜を冷やすのに使っていた。もちろん飲み水としても大きな水がめに入れて利用していた。絶えず、台所の水場は水が流れていた。叔父が夏場はスイカを冷やして、ふるまってくれた。子供心にどこから水が流れて来るのか、筧をたどって山道を少し上った。そこには水が湧くところがあった。その近くには、沖縄の方が疎開して、そのまま住み着かれた方の家があった。その家も同じところから水を引いておられた。何家族かお寺に疎開しておられた時は、3月に故郷に帰ったとき叔母が、もらい湯に来ておんなさったとたい、言っていた。「来ておんなさったとたい」は丁寧な熊本弁で標準語は「来ておられました」。京都弁だと「来ておいやした」かな。お寺に住んでいた同じ年頃の子と一緒に学校にも行っていたそうだ。私は毎月沖縄に出掛けているが、母方が沖縄の方々と交流があったことを知り、縁とは不思議なものだと思った。
by maranatha
| 2019-05-19 20:27
| 故郷