2019年 06月 04日
償い
なぜ、教会関係の民事訴訟で原告の損害賠償請求が判決で通った場合、何もそれに対して発言しない人が、裁判ではなく、教会内で問題解決をし、償いを要求するとき、なせ赦しなさいで終わらせようとするのだろうか。経済的な被害を相手に与えた加害者に対して償いを求めることは正当であるのにどうして非難するのだろうか。私は損害賠償と言う用語を使うときは裁判で取り組むときに使う。教会内で解決するときは償いと言う用語を使う。ザアカイはイエスに出会い、回心した。悔い改めた証に、貧しい人々に財産の半分を、だまし取った人へは4倍にして返すことを表明した。だまし取った人には2倍にして返せばいいのだが、ザアカイは4倍を返すと言った。悔い改めた人が損害を与えていて、ごめんなさいで済ませようとし、牧師が被害者に赦してあげなさいで済ませるのは、あるべき姿ではない。イエスはザアカイの言葉を聞いて、そんなにしなくていいよ、とは言われなかった。町の人に、ザアカイを赦してあげなさい、とも言われなかった。被害を与えた人に弁償することは当然のことである。何でも、赦しなさいで物事を解決しようとしてはいないか。それが、教会内に不公平な扱いを広めていることになぜ気付かないのか。
by maranatha
| 2019-06-04 16:49
| 聖句の誤用