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村上 密 Blog

賜物について

説教は、段落から段落までをテキストとして語ったり、テーマに関連する聖書の言葉を引用して語ったりする。コリント人への手紙第1の12章、13章、14章と3章まとめて語ることは少ないと思う。12章には前半で9つの賜物が取り上げられ、後半では賜物を用いる人々が出て来る。そして「あなたがたは、よりすぐれた賜物を熱心に求めなさい。また、私は、さらにまさる道を示してあげましょう。」(31)と13章に続けている。よりすぐれた賜物とは何だろうか。13章では9つの賜物の中から、異言、預言、知識、信仰が取り上げられている。しかし、どんな賜物も「愛がなければ、何の役にも立ちません。」(3)と断言し、「いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。」(13)と語りかけている。14章では「愛を追い求めなさい。また御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさい。」(1)と愛を強調し預言に対して「特に」と強調している。3章を関連付ける言葉がこれでそろった。14章では異言も書いてるが教会の集まりでは教会の徳を高める預言を優先するように語りかけている。異言は自分の徳を高める。パウロは「私は、あなたがたのだれよりも多くの異言を話すことを神に感謝していますが」(9)教会の集まりで賜物活用の優先事項として預言を勧めている。コリントはいろいろな問題を抱えていた。教会の集まり中での賜物の混乱もその一つで、秩序の回復を目的に手紙を書いている。9つから4つになり最後は2つに賜物への言及がある。混乱は預言と異言である。神の賜物を受けている人は、その賜物を持って神と教会と社会に仕えるために与えられている。コリントの混乱は今日のキリスト教会の混乱と共通している。預言を強調する人々が、預言を支配する「道具」として用いている。神からの啓示と言いながらインスピレーションを持ち込んでいる。教会に分裂をもたらし、神に仕えていると言いながら、腹(欲望のこと、金銭)に仕えている。これはバラムの道である。コリント化するとは不道徳に陥ることを指すが、聖書に基づき賜物の乱用も加えたい。

注:バラムの道とは、偽りの預言者で金銭欲で誤った道を歩むこと

by maranatha | 2019-07-02 11:38 | 聖書
宗教問題

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