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村上 密 Blog

この最も小さい者たち

マタイの福音書24章25章は再臨についての教えである。この教えは過越の祭りが始まる2日前に行われた。これから、十字架、復活、ペンテコステが続き、再臨となる。ペンテコステと再臨の間は随分と長い年月になる。再臨についての教えの最後に出てくる「この最も小さい者たち」とはだれだろうか。この最も小さい者たちを受け入れた人々には、祝福が約束されている。受け入れない人々には裁きが待っている。そうなると、この最も小さい者たちはイエスの教えを伝える人々となる。受け入れた人々は信仰者ということになる。この最も小さい者たちと関連する言葉として「この小さい者たち」(10:42)がある。この小さき者たちを受け入れる人々は、「わたしを人の前で認める者はみな、わたしも、天におられるわたしの父の前でその人を認めます。」(10:32)と書いてある。また、「あなたがたを受け入れる者は、わたしを受け入れるのです。また、わたしを受け入れる者は、わたしを遣わした方を受け入れるのです。」(10:40)とも書いてある。なぜ、この最も小さい者たちとかこの小さき者たちとか、イエスは弟子たちについて語られるのだろうか。それはマタイの福音書10章の弟子の心得を読むと理解できる。福音宣教において、おおよそ社会的に必要と思われるものをもたないように制限されて、神により頼んで生きていくように、受け入れてくれる人の好意に預かるように、低くされているからである。マタイの福音書20章には「あなたがたの間で偉くなりたい者は、みなに仕える者になりなさい・あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、あなたがたのしもべになりなさい。」(20:26,27)と書いてある。イエスの教えを伝える弟子は、このような姿勢で福音宣教に取り組まなければならない。小さき者としての自覚を失い、偉い者であるかのように、人の先に立っている者として振舞い始めたら、イエスの教えから反れているものとなる。福音を伝えている人たちを受け入れる人たちは気を付けて判断しなければならない。弟子はイエスの教えに忠実でなければならない。その教えに忠実である時、イエスの権威を帯びているのである。教えに反しているときに権威を帯びているのではない。職業として権威を帯びているのではない。その職務に忠実であるがゆえに権威を帯びているのである。小さい者ではあるが、イエスから委ねられた教えは小さくはない。パウロは自らを「私は使徒の中では最も小さい者」(1コリント15:9)と言い、サウロと言う名前をパウロ(小さい者)と名乗るようになった。使徒の働き13章では、アンテオケ教会から異邦人伝道に派遣されたとき、サウロからパウロと名称が変わっている。


by maranatha | 2019-08-05 18:32 | 聖書
宗教問題

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