2019年 11月 04日
生きていてほしい
自死を禁じる刑法はない。刑法199条の殺人罪には自己を死に至らしめる行為は含められていない。他人の自死に関与することは自殺幇助罪(刑法202条)で違法である。聖書の中の律法には、殺人に対する刑はあるが、自死に関する刑は書かれていない。キリスト教会では、自死を罪と思っている人が多い。それはキリスト教の文化であって、聖書の教えではない。自死を罪として裁く人は、自死した人の遺族を犯罪者の家族とは言わないが、そのように思わせるところがある。それが遺族に後ろめたさを与える。直接的には自死者をそして遺族を裁く根拠がないのに、文化で裁いている。法で裁けないものを文化で裁く、このことが遺族のこころの安らぎを奪うことになっている。私は自死を勧めているのではない。むしろ、生きていてほしい。追い詰められた結果の自死であれば、死に至らしめた他者がいて、その人こそ裁かれるべきだと言いたい。因果関係が明らかになればその人は裁かれる可能性がある。たとえば、いじめは犯罪である。いじめの被害者が精神的に追い詰められて自死を選ぶ。そのような自死をだれが裁けるだろうか。自死に至らしめた人こそ裁かれるべきである。心臓病でなくなる。鬱ならば脳の病気である。ベッドの上でなくなるのか、ベッドではないところでなくなるのかの違いである。心臓病も制限されている食事を過剰摂取すれば穏やかな自死と変わりはない。不摂生もまた穏やかな自死である。自分を愛するとは身体的には健康に努めることである。
by maranatha
| 2019-11-04 15:02
| 自死