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村上 密 Blog

洗礼

「これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。」(コロサイ3:14)原文には「着けなさい」はない。なぜ「着けなさい」を書き加えたのか。
第1に、ヒントは2節前にある。「深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容」(3:12)は置き換えれば「愛」である。それに「身に着けなさい。」が書かれてあるからである。愛は包括的な言葉である。「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛はけして耐えることがありません。」(1コリント13:4~8)このように愛はいろいろと表現されている。愛は一言では言い表すことのできない言葉である。
第2に、3章10節にもう一つのヒントがある。ここには「新しい人を着たのです。」と書かれてある。この「着たのです」は本当に「着た、身に着ける」である。8節の「古い人をその行いといっしょに脱ぎ捨て」る行為は「着る」行為の反対である。「脱ぎ捨てる」のは何か。「怒り、憤り、悪意、そしり、あなたがたの口から出る恥ずべきことばを、捨ててしまいなさい。互いに偽りを言ってはいけません。あなたがたは古い人をその行いといっしょに脱ぎ捨てて」(3:8,9)である。「脱ぎ捨て」は「肉の体を脱ぎ捨て」(2:11)にも出てくる。「愛を着けなさい」の「着けなさい」はこの「新しい人を着なさい」からも受けている。

さて「身に着なさい」(3:12)「着たのです」(3:10)の「着る」は洗礼と関連する言葉である。コロサイでは、パウロは洗礼の意味を「バプテスマによってキリストとともに葬られ、また、キリストを死者の中からよみがえらされた神の力を信じる信仰によって、キリストとともによみがえらされたのです」(2:12)と書いている。「葬られ」、言い換えれば、「脱ぎ捨て」るのは「古い人」(3:9)である。「よみがえらされた」、言い換えれば、「着なさい」は「新しい人」(3:10)である。「着る」が洗礼と関連する言葉として簡潔に書かれてあるのはガラテヤ人への手紙である。「バプテストを受けてキリストにつく者とされたあなたがたはみな、キリストをその身に着たのです。」(3:27)パウロはエペソ人への手紙の中で「あなたがたの以前の生活について言うならば、人を欺く情欲によって滅びて行く古い人を脱ぎ捨て」(4:22)と書いている。これは洗礼以前の生活である。信じて洗礼を受けた後は、「あなたがたの心の霊において新しくされ、真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきことでした。」(4:24)と書いている。「古い人」は「脱ぎ捨て」、「新しい人」を「着る」。それをいつするのか。洗礼の時である。実際このことが起きているときは、イエスをキリストと信じて受け入れ、キリストと結びついた時である。「信じてバプテスマを受ける者は、救われます。」(マルコ16:16)と書いてある。

by maranatha | 2020-01-12 16:04 | 聖書解釈
宗教問題

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