2020年 02月 04日
歩く
ヨハネの黙示録に、七つの燭台が何を意味するのかが書いてある。「七つの燭台は七つの教会である。」その七つの教会の最初の教会がエペソである。「七つの金の燭台の間を歩く方が言われる。」(2:1)イエスはエペソだけではなく、その他の六つの教会もも歩き訪ね、称賛し、叱責し、悔い改めるように勧告し、教会の問題を指摘しされる。この歩くは、創世記を思い出させる。「そよ風の吹くころ、彼らは園を歩き回られる神である主の声を聞いた。」(3:8)神は、神の命令に背いて身を隠す、アダムとエバを探し求めて歩かれる。昔、七つの教会の間を歩かれた神は、歴史の中で存在した教会の間も歩かれた。そして、現代の教会の間を歩かれる。燃える炎の目を持つ方は、教会のすべてを見通しておられる。それぞれの教会の称賛されるべき点、非難されるべき点、問題のない教会はない。必要なのは罪を認め、問題を認識し、悔い改め、神に立ち返ることである。逃げるのではなく、隠れるのではなく、歩いて、私たちの教会を訪ねてこられた主を迎え入れて、交わりを再開することである。黙示録にこう書いてある。「わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって、悔い改めなさい。見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、私の声を聞いて戸を開けるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」(3:20)
by maranatha
| 2020-02-04 14:50
| 聖書