2020年 02月 27日
指導者か仕える者か
イエスは弟子たちに、弟子の心得(マタイ20:20~28)を教えられた。弟子たちは偉くなりたいと思っていた。それは深刻な問題となる可能性があった。イエスは自らの生涯を通して仕えることの大切さを教えられた。弟子のペテロは、長老たちに、「同じ長老のひとり」(1ペテロ5:1)と身を低くして、長老の心得(1ペテロ5:2~3)を教えている。聖書の中に、イエスの弟子はいても、ペテロの弟子、パウロの弟子はいない。ペテロは「同じ長老」、パウロは「同労者」を用いた。彼らは偉くなりたいという思いを克服していた。問題を起こすのは偉くなりたいと言う思いである。牧師がセミナーでリーダーシップを学ぶことがある。それは「異邦人の支配者」(マタイ20:25)の在り方である。世界の牧師のリーダーシップはその牧師が住む国の政治的リーダーに近い。それは信徒がそのようなリーダーを求めているからかもしれない。宗教トラブル相談センターで扱う牧師の問題はトップダウン型が多い。牧師の暴走を役員会も教会総会も止めることができないでいる。それはブレーキのない車のようなもので、事故が起きるまで止まらない。いや、事故が起きてもさらに動き続けて多重事故を起こし続けている。聖書が教える「仕える者」ではなく、世間が求める「牧師像」によって、牧師の問題も教会の問題もはなはだ世間と同じになっている。原点に戻るようにとの勧めは歓迎されない。
by maranatha
| 2020-02-27 09:41
| 宗教トラブル相談